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MAT Exhibition vol.3
丹羽良徳
「名前に反対」
名前への挑戦2
対談「ゴミと社会 -公共空間に何が持ち出されるのか—」

丹羽|とても分かりやすいです。僕はアイデアを出す時に、美術だけではない、他の分野を参考にすることがあります。今回の個展タイトル「名前に反対(=Against Name)」は、科学と哲学と相反する分野を研究し、普遍的な方法論の否定を提唱したポール・ファイヤアーベントの『方法への挑戦(=Against Method)』という本を参考にしました。「ゴミの山に命名権」と言われても、混乱するかもしれませんが、関連性のないようなものを1度つなげることで、新しい視点を作り上げるのではないかと思います。

田中|社会学でも、社会的な通念、社会の常識になっているものを疑うというのはもちろんあります。例えば、世の中には男と女と2グループしかない。男女の間にいろいろなグループがあることは、昔からあり得たはずですが、社会が男と女のどちらかしかを認めなかったためです。現在は同性と結婚することがようやく認められるようになってきましたが、男と女の分類は社会が作ったものです、というような議論を社会学ではするわけです。

丹羽|僕の視点だと、社会学と芸術のアウトプットはずいぶん違うと思いますが、現地に向かい、足で歩いて、人と話して、ものを見るところから何かが始まるということは共感できました。しかし最近、自分の思考というのはどこから来ているのか、手法が思考をコントロールしているのではないか、自分の思考は自由なのかという漠然とした疑問があります。手法にコントロールされた頭しか僕は持っていないのではないかと不安もあるのですが、田中さんはそういうことを考えたことはありますか。フィールドワークをやっている際に自分の思考は果たして自由なのか、どう折り合いをつけているかというのを伺いたいです。

田中|例えば、衛星画像で災害の被害を解析する。技術は進んでいますから、パソコン上でも分析できます。それを行っている人たちからすると、多分私たちみたいに被災地に行って、歩いたり人の話を聞いたりしても「なにそれ?」というふうに捉えられるかもしれませんが、目線の高さみたいなものがあって、こういう話をする時は現地に行って、時間をかけないと見えてこないこともあります。「衛星写真から人間の心なんか見えるか!」と思います。丹羽さんの疑問は、ある意味では当然で、自分がどのような手法や目線を持っているかで見えてくるものは違うので。そのことで言うと、最後に私から丹羽さんに聞こうと思っていたのは、丹羽さんは最終的にどこに行くのだろうと。このような手法は、今後どのように展開するのだろうと思いました。やはり手法と作品は、すごく関係していると思います。丹羽さんの作品は社会実験的なところもあって、社会に石をポンと投げて、社会がどのように反応するのか、その反応を映像にして見せて、今度はそれを見た社会がまたどう反応するか。もちろんその中にはいろいろなメッセージが込められている。自分の表現媒体と手法は、作品と一体のものなのではないですか。

丹羽|そうですね。僕が常々考えているのは、客観的に対象を観測するというのはまず不可能だと思っています。カメラを持ち込むとか、観測するとか、取材するというのはどれだけ存在を消そうとしても相手に影響を与えてしまい、それを持ち込んだ時点で何かしら変容させてしまっているので、僕はそれを客観的に捉えずに、あえて介入していくという方法で、ものを考えられるようにコントロールしようと。

田中|それは私たちが調査に入ったところでも同じです。介入するということは向こうの状況を変えています。

丹羽|そうですね。まさに田中さんがおっしゃる通りです。介入して人が人に何か影響を与えるというのは日常的なもので、何かを偽ると言うとネガティブかもしれないですが、うまくいくように僕らが学んでしまった術というか。初めて会った人を怒らせないで喋らせるための柔らかく喋る方法だとかは、無意識に身に付いてしまっているような気がしています。人はそれぞれ現場によって、どんどん変わっていくというのが真実なのではないかなと思っています。

田中|少し意地悪な意見ですけど、最初の作品に登場したインド系の人が出てこなかったら、今の丹羽さんはいなかったかもしれない。だけどあれは偶然ですよね。でもあれで、あの作品はすごく面白くなったのだと思います。そういう偶然みたいなものが重要で、公共空間であまりにもバカなことをやっているからあの人はきっと怒ったので、もちろん丹羽さんの行為が触発はしたけれど、そういう出来事を通して全部作品になっていくのは、NHKの手法とは全然違います。だけどあの終わり方が良かったです。

丹羽|まさに、そう思います。

質問者|《水たまりAを水たまりBに移し替える》の作品で、インド系の人が介入してくるというのが、私も気になってお話を聞いていました。私の勝手な想像と解釈ですが、水を使っていたからではないかなと。南アジアの人たちにとっての水というのはすごく大きな意味を持つものだろうなと思ったのですが、もしかして全然違う理由があるのなら、お聞きしたいのです。

丹羽|あの人が水たまりを蹴り飛ばした理由ですよね。それは僕にも本当に分からなかったですね。映像には映っていないのですが、カメラの後ろには彼の仲間が2人くらいいて、白人だったと思います。多分、縄張りなのかとその時は思いましたが、本当に分からないです。ドイツ語が全く分からなかったし、現地の友達に聞いても言葉の鈍りが強すぎて分からないと言っていて。でも最後に蹴り飛ばしていたところから1ユーロコインが出てきて、それをあげると言われて。謎ですね。もらったら、それで帰れというサインだと思いました。もしかしたら水たまりに入っていたように装って、ポケットから出していたのかもしれないですが、真相は分からないですね。

田中|私の解釈ですが、「そんなバカなことをやってないで、早く日本に帰れ。」ということかな。

丹羽|多分そうですよね。

古橋|最後に田中さんと丹羽さんから一言ずつお願いします。

田中|公共の最初の出発点は「私たち」なんです。「私」ではなく「私たち」、「私たちのために」。ただ、言葉遊びみたいですけど、「私たち」という括りをどう公共性の高いものにしていくかというのはもう一段階上の問題になってきます。自分のことだけ考えているのではなく、「みんな」のことを考える、私たちのことを考える。また私たちのことを考えようというその先には、他の人にも私たちということを認めてもらうことができるかまで。まちづくりを含めて公共ということにこだわって考えていくことはすごく大切で、今回の丹羽さんの作品そのものがそういうことを広めていくきっかけになったら良いなと思いました。

丹羽|僕は最後の田中さんの質問に全然答えられてなかったので、この後どうするのかだとか展望を話します。まず2016年3月から1年間オーストリアに滞在することになりました。環境が変わるので、新しいものが何か得られたらと思っています。これまでは歴史的に忘れ去られたものや、価値がないとされてきたものに対して、アプローチした作品を作ってきましたが、この先の10年間では、誰も疑わない価値である民主主義を、どうやって疑うかというのを扱いたいなと考えています。相当難しいと思いますが、なぜ民主主義をほとんどの人が疑わないのか。疑っている人もいると思いますけど、それを題材にして作品を作ってみたいと思っています。価値のあるものの価値を無くさせるにはどうしたら良いかと、なんとなく考えています。具体的なアイデアが今あるわけではないのですが、また10年後に田中さんとぜひお話したいです。

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プロフィール
丹羽良徳
Yoshinori Niwa

アーティスト、1982年愛知県生まれ。
自身の状況を転置することで眼に見える現実を解体し「公共性」という幻想のシステムの彼岸を露出させる新たな物語を作り出す企てを記録映像として作品とする。主なプロジェクトに、東ベルリンの水たまりを西ベルリンに口で移しかえる《水たまりAを水たまりBに移しかえる》(2004)、震災直後の反原発デモをひとりで逆走する《デモ行進を逆走する》(2011)、社会主義者を胴上げしようと現地の共産党で交渉する《ルーマニアで社会主義者を胴上げする》(2010)やロシアの一般家庭を訪問してレーニンを捜し続ける《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す》(2012)など。移り行く思想哲学とその歴史を横断する活動を展開している。
http://yoshinoriniwa.tumblr.com/xxx

《ゴミの山の命名権を販売する》2014, プロジェクト


田中重好
Shigeyoshi Tanaka

社会学者/名古屋大学大学院環境学研究科教授  
1951年神奈川県生まれ、愛知県在住。地域社会学、災害社会学を専門としている。主な著書に『地域から生まれる公共性 —公共性と共同性の交点』(ミネルヴァ書房、2010年)。共著として『東日本大震災と社会学 大災害を生み出した社会』(ミネルヴァ書房、2013年)、『スマトラ地震による津波災害と復興』(古今書院、2014年)がある。


開催日|2016年1月23日(土)14:00–16:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|丹羽良徳、田中重好
来場者|33人