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ドキュメント

MAT Exhibition vol.11
Punk! The Revolution of Everyday Life Nagoya
パンク!日常生活の革命 名古屋
レビュー|千葉真智子

2021年6月に倉敷にある小さな裏ぶれた元スナックを会場にはじまった本展が、その後、内容を更新しながら日本各地を巡回し、ここ名古屋にまでやってくるとは思ってもみなかった(展覧会はその後も続き、23年5月の東京藝術大学で7会場目となる)。職業として、これまで展覧会の企画運営に携わってきた身としては、展覧会が育つということがいかに稀有な出来事であるかは少なからず理解できるし、当時、本展を見るためだけに倉敷まで足を延ばしたこともあって、なにか特別なことに立ち会ったような感慨さえある。
 思うに本展の成功(といっていいだろう)の背景には、人種や性別、階級など、近年さまざまな領域で高まるマイノリティによる権利要求と、それに応じて強まる政治的正しさへの配慮という状況にあって、本展がそれらの切実で具体的な主張やメッセージをもった人々の活動(運動)に焦点を当てていることへの共感があっただろう。非常に時宜を得たテーマであり、また少しうがった見方をすれば、展覧会が事態を多少なりとも先取りしていたのがポイントで、企画当初よりも日を追うごとに世間的にもアート界的にも問題への関心が強まるなか、展覧会もそれに歩調を合わせるように、現在進行形のアクチュアルな例を加えながら相互作用的に拡張することができたといっていい。そして、こうした事情もさることながら成功の決め手になったのは、本展がさまざまな事例を取り上げながらも、それらを「パンク」の名のもとに括ってみせたことにあるだろう。来場者の顔ぶれを思い返すと、例えば、革ジャンに長めの髪で、ほどほどに年嵩もいったような(こうした類型化も今はポリティカル・コレクトネス的に引っかかるのかもしれないが)、いわゆる現代アート界隈を浮浪しているのとは異なるタイプの人たちがいたのが印象的で、それは「パンク」というより裾野が広く、ファッションとしても、思考の傾向としても、ある一定の世代を強く惹きつけた文化がもつ求心力によるところが大きい。
 企画者の川上幸之介さんにとってのパンクの入り口はザ・ブルーハーツとのことだったが、体制批判としてのパンクは、日本では漠然とした息苦しさへの抵抗として、憧憬と共にある種のナイーヴさをもってポピュラリティーを得ていったという側面があるだろう。そうした若者の思い出と共にあるパンクを、後年改めて召喚し、学術的にも掘り下げ、概念を拡張して使い直したというのは非常に意欲的で着眼としても面白いものである。展示では、歴史的なパースペクティヴを一つの基軸に設定し、セックス・ピストルズの生みの親マルコム・マクラーレンがシチュアシオニスムを出自とすることから、パンクをレトリスムからダダ、カール・クラウスにまで遡る不条理で解体的なアートの歴史として描き出し、もう一つの軸として、資本主義や商業主義へと回収される運命にあるパンクに抵抗し、コミューン的活動を維持展開したクラスを引き合いに、それに先行するブラック・マスクなどの活動を取り上げることで、反体制からアナキズムまでをも含む政治・社会運動の歴史としてのパンクを描き出す。もちろん本展で取り上げられた運動や活動は明確に二つのラインのどちらかに振り分けられるものではないし、とりわけ後者の政治的態度は、通奏低音のように全てを貫くものである。が、巡回会場が増えるにしたがい、展示における比重が後者へと傾いていったことは、後述するように、「パンク」の可能性をどうみるかという本質的な問題を孕むことにもなっただろう。
 
 繰り返しになるが、インドネシア・パンクやミャンマー・パンクなど、倉敷の展示以降に追加された作品の多くは、人種や性別、性差に関わるアクチュアルなパンクのドキュメントである。あまりにもストレートな、内心の告白ともいえるメッセージに貫かれたそれらのパンクの例からは、生存までもが危ぶまれる社会に置かれた人たちの切実な境遇が実感される(実際、ミャンマー・パンクの撮影に携わった久保田徹さんが、この名古屋展の開催期間中にミャンマー国軍に拘束されていたことは、事態の深刻さを物語っている)。そこではギミックのないパンクのシンプルさこそが、媒体としての力となっている。
 しかしながら、それでも敢えて最後に問うておきたいのは、一方の、アルフレッド・ジャリやダダからレトリスムに至る運動の、その最も特筆すべき点が何であったかといえば、言語の解体と意味からの逃走であり、私たちを規定、拘束するロゴス的な世界を精算する試みだったということである。つまり、意味や意思の伝達を超えた転覆の強度こそがパンクの表現可能性=アートとしての力であり、本展がアクチュアルな政治的ドキュメンタリーの色合いを濃くしていくのに比例して、表現=アートとしてのパンクの特性が何であったのかということが、十分に省みられなくなっているのではないかということである。言語の解体、ロゴス的世界からの逃走としてのパンクが目指したものは、登録されることへの絶対的拒否の態度であり、意味に回収されないことであった。だから、メッセージを伝えるためのメディアとしてパンクに賭するのだとすれば、そこには大きな相違がある。メッセージは登録のための行為である。

 クラスが郊外で自活したのは、現行社会のルールから逸脱し、法の埒外にあることの試みだった。今回、名古屋会場の展示を機に川上さんが発見した「橋の下音楽祭」は、この逃走と創造としてのパンクの可能性の一つの希望といえるだろう。しかし、往々にして、こうした逃走が許容されないような深刻な社会状況下において、パンクはどのように存立し得るのだろうか。パンクの可能性と現行社会の厳しさを同時に実感する稀有な力技の展覧会であった。

プロフィール
千葉真智子
Machiko Chiba

岡崎市美術博物館学芸員を経て、2015年より現職。近現代美術を専門とし、美術館外の空間でも積極的に企画を行っている。
主な企画に「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー」(豊田市美術館、愛知、2022年)、「αMプロジェクト2022|判断の尺度」(gallery αM、東京、2022年–2023年)、「岡﨑乾二郎|視覚のカイソウ」(豊田市美術館、愛知、2019年)、「切断してみる。―二人の耕平」(豊田市美術館、愛知、2017年)、「ユーモアと飛躍 そこにふれる」(岡崎市美術博物館、愛知、2013年)などがある。