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ドキュメント

MAT Exhibition vol.2
「絵画の何か」
トークシリーズ「絵画の夕べ」
第2回「種明かしと方法」

天野|言語化できないものを扱っているわけだから、基本的には言語というのも外部です。作品ができて、分からないものが出てきて、作家が全部理解しているわけではないです。観ている人は、もっと分からないですね。最近は美術館も親切にトークなども開催しますが、解説をしているわけではないのです。でも多くの鑑賞者は「この作家が言いたいことは何だ。」と答えを直接的に求めます。作家も、絵だけ観てほしいと思っていると思いますが、それを言語化することでフィードバックして学ぶこともある。それぞれの認識がずれるのは当然です。そうでないと、批評なんてできないです。

佐藤|「やっぱり絵画って難しいね。」で終わるのは嫌なので、それを前提として始めたはずなのに、やっぱりそこの出だしに戻る感じというのは…。

天野|佐藤さんが今回書いている企画テキストで、絵画における共通認識をベースにして外部から何かを導入しないと、現状を突破できないのではないかと。よく考えてみると、外部とはいろいろあるわけです。それまで扱ってこなかった新たなものをテーマ、イメージ、素材などで導入するのは、ダダ、キュビスム、ポップなどの20世紀美術がやっていました。もっと言えば日本や中国など東アジア絵画でも、1から10まで作っているわけではないです。東洋絵画の場合は、基本的には「主題と変奏」なのです。伊藤若冲も、さまざまな描写を混在させ、中国、朝鮮絵画を引用して描いているわけです。そう考えてみると、最初から作るというのは本当に狭い現代美術の一部だけで、歴史上これまでなかったです。絵画は自分の手習った手法を自分で点検して、自分であえてズレを設定しない限り、固まってしまう。もしくは技術的に洗練を進めて終わってしまいます。だからそれを常にやっていかないと、という危機感を画家はいつも抱えていると思います。
佐藤さんの作品は、絵から始まっていないからか、フォーマリスティックな絵画の平面性から始まる作品よりは、物質性や外部性を常に作品の中に入れていて、外から見ている感じが特色だと思っています。

佐藤|自分的にはかなり行き詰まり感があるので…。

天野|その時にはもう1回設定し直さなければならないのだと思います。
歴史的に考えても、いろいろな表現者があらゆる手法を模索しています。マルセル・デュシャンも、言葉を外部として、言葉遊びしている。作品の説明にはなっていないのに、あえてそれをタイトルに使っています。岡﨑乾二郎のタイトルも全く作品とは関係ないですね。それぞれ作家の設定があって、絵は求心的に固まってしまうところがあるので、常に揺らしておかないといけないと思います。結論ではないですが、いろいろな手立てがあって、正解は1つではないので、それぞれが見つければ良いと思います。

佐藤|すごく救われた部分がありました。ありがとうございます。
今日は答えが見つからなかったですが、会場の皆さんからご意見があれば教えてください。

質問者|絵画は観る人が得をしないといけないと思っています。でも現在美術界でチヤホヤされている画家の絵を観ても、はっきり言って分からないだけで、何にも鑑賞者は得をしない感じがします。感動を与えるのが画家の仕事じゃなかったのかなと思います。

佐藤|「わからない」というのは、私自身も分からないことが多いのですが、良い答えを聞いたことがあります。作る側は、分からせようと思って作っていないと思います。作家本人も「わからないことがわからない」というように伝わっているということがあるのです。この答えは、言葉のマジックでずるいですが、もう1つ違う観点で言うと、例えば車が走る仕組みや、車種、メーカーが分からなくても車だと認識しますよね。絵を観た時よりは、自分の中では分かるという反応をします。それは実は自分の中の興味の問題で、そこで何で成り立っているのかと興味を持って調べれば、それが少しずつ紐解けていくようになるのです。だから、分からなくても、感動しなくても、これは何だと思いながらたくさん観ると良いと思いますよ。

質問者|観る側の人にも歩み寄るような姿勢が必要だということですか?

天野|歩み寄るというより、読み解く楽しさはありますね。正解はどんなものにもないから、正解があると思ってしまう頭をかち割らなくてはいけない。「わからない」というのは、これまでの判断基準がない、ある意味面白いと言える褒め言葉です。表面的な色の美しさ、形の面白さのような小学校レベルの絵の鑑賞の話ではないです。徹底的に絵を観て、嫌な絵、私たちの深いところに触れてくるようなものや多様な表現に触れた経験で自分というものが広がっていくのです。私は自分の好き嫌いで作品を観たりしません。それは学芸員だからではなく、ひとつの基本だと思っています。他の人にまでそれを求めようとは思いませんが、そうやって観てみると、正解がひとつではないことが分かり、表現の多様さや、自分の価値観だけではなく聞く耳も持つことになると思います。

前川|作る側としては、答えがもともと用意されているわけでもないし、なんで作るかというと自分自身が見たい、感動したいと思って作っているわけです。長い時間をかけて日々葛藤している、分からなさみたいなものを、そのまま観てもらえれば良いと思っています。

花木|僕も作る側として打算的に作品は作れないです。こうすれば感動するだろうというところに起点をおいて、作品を制作できないですし、そういう作品はつまらないと思います。何かを得るためではなく、いろいろな尺度で作品は観られるべきだと思うので、そこは観る側も自分自身を開いた状態で観た方が良いと思います。

MAT, Nagoya・吉田|プロセスと思考の話が中心だったので、絵画の制作以外のことで質問します。生活や趣味など、他の分野への興味や視点が、作品に還ってくることがあるかと思います。美術以外で最近の興味を教えてください。

花木|気晴らしに映画を観たりしますが、作品の資料として映画を観ることができないので、スタジオにベストコンディションで行くために、最近は筋トレをしています。スポーツは結果がすぐ出ますが、絵は結果がすぐに出ないので、同じことの繰り返しや鍛錬が、生きることと緩やかにつながっていると思っています。

前川|最近の興味は、人に会うことです。本音を言うと、今スランプというか、2ヶ月くらいまともに制作ができていないので、積極的に人に会いに行って人と喋ることですね。

天野|2人とも絵以外の表現を観ないのでしょうか。私は映画も舞台も気晴らしで観ていないですし、全部真剣です。

花木|作り手の視点で観てしまうので、単純に楽しみつつも、クリエイションとして観てしまうので、気晴らしというより自分のために観る部分があります。

天野|絵は確かに特殊ですが、私は絵も映画も歌舞伎も小説、全ての表現をフラットに観ています。だから2人がどのように観て、何を読んでいるのか興味がありました。絵だけで考えていないですよね。

前川|僕は、音楽ですね。バンドは絵を描くぐらい真剣にやっていて、そこから考えていることもあります。

天野|ただ、絵を描くということを生活の中心に置くと、世界が絵を中心に回って見えてくるかもしれないし、あとやっぱりずっと絵を描くことは異常なことです。子供も絵を描きますが、例えば1つの花を何時間も見つめるような、ずっと持続して描く態度というのは一般の人から見たら異常ですよ。また様式的に技術的に巧みになると飽きてくるし、スランプにも陥る。それをどうやって克服するのかを考えないと進まないというのが分かってくるわけです。どんな職業だってそうです。八百屋だってそうです。野菜の品揃えや売り方、どういうメッセージを送ったら客に届くかを考えていて、ただ店を開けば良いというわけではないです。絵も全く同じだと思います。

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プロフィール
花木彰太
Shota Hanaki

アーティスト
1988年愛知県生まれ。愛知県在住。
性としての絵画をテーマとし、日常的な風景や建築、家屋などの構造物とそこから生まれる光と影を色面、線など絵画の基本的な要素に還元し絵画を制作。
主な展覧会に「meeting」(GALLERY VALEUR、愛知、2015年)、「in the forest」(metsa、愛知、2015年 )、「Flesh and bone」(海岸通ギャラリー CASO、大阪、2013年)などがある。

《structure》2015


前川祐一郎
Yuichiro Maekawa

アーティスト
1981年静岡県生まれ。愛知県在住。
前川の作品は、制作するなかで画面の内や外で感じられる知覚を頼りにして描かれており、他者と感覚として共鳴できる部分を大事にしながら、描かれたものが想像力を誘発するような画面について考察している。
主な展覧会に個展(愛知県立芸術大学サテライトギャラリー、愛知、2015年)、「Row Row Row Your Boat/TWS-Emerging 2014」(トーキョーワンダーサイト渋谷、東京、2014年)などがある。
syuichiromaekawa.blogspot.jp

《untitled》2015


天野一夫
Kazuo Amano

美術評論家
1959年東京都生まれ、愛知県在住。O美術館学芸員、京都造形芸術大学教授、豊田市美術館学芸員を務める。主な企画に「ART IN JAPANESQUE」(O美術館、東京、1993年)、「メタモルフォーゼ・タイガー」展(O美術館、東京、1999年)、「近代の東アジアイメージ —日本近代美術はどうアジアを描いてきたか」(豊田市美術館、愛知、2009年)、「変成態 —リアルな現代の物質性」展(gallery αM、東京、2009–10年) などがある。


佐藤克久
Katsuhisa Sato

美術家
1973年広島県生まれ。
愛知県在住。活動当初は概念的な立体や写真作品を発表していたが、近年は絵画形式を中心に制作している。
主な展覧会に「反重力」(豊田市美術館、愛知、2013年)、「リアル・ジャパネスク」(国立国際美術館、大阪、2012年)などがある。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。
satokatsuhisa.jimdo.com

《ものだね》2015


開催日|2015年11月27日(金)19:00–21:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 2F: Project Space
スピーカー|花木彰太、前川祐一郎、天野一夫
聞き手|佐藤克久
来場者|80人