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ドキュメント

MAT Exhibition vol.2
「絵画の何か」
トークシリーズ「絵画の夕べ」
第3回「絵画のこれから」

佐藤|本日は「絵画の何か」のトークシリーズ「絵画の夕べ」にお越しいただきありがとうございます。皆さんにお渡しした資料には、「絵画の何か」出展作家4名と企画者である私が今日のトークを行ううえで挙げたキーワードが書いてあります。それではまず、私の方からこの展覧会を企画した意図をお話したいと思います。この「絵画の何か」の企画テキストにも書いてあるのですが、私には絵画に対する漠然とした危機感がありまして、今日はその危機感について話をして、なにか手応えのあるものをつかみたいと思っています。今回の展示では、私が最近観た中で面白いなと思った作家を選びました。彼らはたまたまか確信的か、分からないですが、平面作品と絵画作品、立体作品を制作していました。私も平面・絵画と立体を制作しているので、同じような問題意識があるのではないかということと、私の活動からは思いもつかないようなことをしている作家たちなので、お誘いしました。ですので、この4人以外では考え得なかったことを実現できていると思っていますし、また彼ら以外の作家では取り替え不可能だと思っていて、自信を持って今回の展覧会をおすすめします。とかく若いうちはほとんどの作家が文脈化されるのを嫌うと思います。ですので、今回展示している彼らもこれから違う作品へと展開があるかもしれませんが、その時は「あの時はああだったじゃないか。」というのではなく、「こうなったのか。」というように見てもらえると嬉しいです。

島|今回の展示ですが、実は会期中に展示が少し変わっています。最初は川角さんの作品、白い発泡スチロールに囲まれた展示が、今はバラけたようになっていますね。どういう意図ですか。

川角|発泡スチロールの作品は、合計で4回展示が変わっています。そもそもグループ展自体が難しいと思っていて、どのくらい他の人の作品と自分の作品が混ざり合って高まるのか、自分たちで見つけるしか方法がない。ですが佐藤さんに呼ばれたグループ展で、しかもタイトルが「絵画の何か」と、何かに迫らないといけないと思い、良い意味でも悪い意味でも影響し合う、介入し合う、どうしようもない状態にすることを考えていました。それが一体どういう変化を展示に対して及ぼすのかを、展示を変える度に感覚で分かれば良いと思っていて、人との距離感もそうですが、その程度でしか測れない気がしています。

島|トークのテーマが「絵画のこれから」ですが、「これからの絵画」じゃない。ニュアンスが違いますね。

佐藤|「これからの絵画」は全然考えていなかったですが、「絵画の何か」のシリーズなので、「絵画のこれから」にしました。「絵画のこれから」、「これからの絵画」全然違いますね。

守本|確かに「これからの絵画」だと、話す内容が絵画のことじゃないですか。「絵画のこれから」だと、これからを話しているから、絵画の着地点とは限らなくなるなと思います。

佐藤|川角さんの作品は、今回台風の目のような展示ですが、やっぱり私が予想していたものを、すごく軽々と乗り越えてくる、びっくりしています。

小島|実は先日出展作家と佐藤さんで、今日のトークに向けて合宿をし、その時にトークのキーワードをそれぞれ出すことになりました。その時に川角さんが「見る」という言葉を出して、僕の中でそれが1番すんなり入ってきました。

佐藤|ではそのキーワードに移って、資料にある「見る/見ちゃう/通り過ぎるものとそうでないもの」について、話をしてみたいと思います。

堀|「見る」というキーワードに対する川角さんなりの例えがいくつか出た中で分かりやすく、僕が好きだったのが、「砂漠という何でもないところにヤシの木が1本生えていたら、そのヤシの木を見ちゃいますよね。」という。それを聞いた時に、その砂漠の中に1本ヤシの木が生えるだけのエネルギーが、見る人を引きつけていると言えるのではという話があって。ただそれはあくまで例え話であって、例えばまちの中に真っ赤な絵があって、それを人が見るからといって、その赤い絵に力があるかどうか分からないと思います。

川角|普通に何かしら展示を観ている時に、良いと思ったり、良し悪しを決めたりするものがおそらくあって、それはルールだったり、絵画史や美術史だったり、決めるのは個人ですでに良し悪しが決まっていても、「見る」ということはそれよりも先にあるのではないかと話をしていました。その後に良し悪しを判断するものが出てきて、その時「見る」とは何なのかと考えた時に、砂漠に突然木が1本生えていたら否が応でも「見る」ということは起こって。もっと簡単に言ってしまえば、皆さん携帯電話で写真を撮ると思いますが、まちの中で普通に歩いていた時にふと撮ってしまう、それは「見る」ということと近いと思います。つまり「見る」ということが現代の人では写真で撮ったりすることに現れている。
だから結局「見る」というのはそれぞれ個人の話ですが、そこから良し悪しを判断する基準が持ち込まれるということです。

堀|「見る」とか「見ちゃう」ということの延長で、川角さんが何を成立させたいのか、何かあるのでしょうか。

川角|「見てしまうようなものを作る」というのが目的にあり、それをやっているのが美術なのかなと思っています。それが唯一できることと言うか、砂漠の中に木を思い切り1本立てるようなエネルギーをかけてやる職業、それが美術だと思っています。

堀|川角さんの「見る」とか「見ちゃう」から派生して考えていることは、何かすごく新しいものを生み出すだろうなと単純に思いました。今回は絵画と立体を制作している作家の展覧会ということですが、僕自身は絵画と立体はとても明確に分かれていて、絵画は絵画としてやりたいし、立体は僕にとっては副産物であり、癒しであるという感覚で作っています。だからまずは自分で満足できるものをキャンバスの中で成立させたいという思いでやっています。

島|「絵」と「彫刻」とは言わないですよね。「立体」と言う。どちらも制作している作家もたくさんいます。だから今回の展示では特殊な人たちが特別なことをやっているわけではなく、ほとんどの歴史上の有名な作家がどっちもやっていますし、そんなに特別なことじゃないですよね。

佐藤|そうですね。それ自体については特別ではないですけれども。

島|佐藤さんとしてはどんな感じだったのでしょうか。少し特別といった感じでしょうか。

佐藤|少し特別というのは、私としては後ろめたさがあったわけです。「絵画道」みたいなのがあったとして、そこからは必ず外れた場所に自分自身はいるなという思いがあって、いろいろな作品を制作している作家という認識をされているので、このあたりでそれがもう少し普通だと認識されても良いのではないかと思いました。歴史上ではバーネット・ニューマンやアンリ・マティスなど、いろいろなことをやっている作家がいるにもかかわらず、現在では、それぞれのメディアで、映像なら映像の中で制作している作家が多いなと思っています。

島|たまたま今回の出展作家4人が、佐藤さんが思っている気持ちを受け継いでくれるような、少し共有できるような感じがあるという感じでしょうか。

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プロフィール
川角岳大
Gakudai Kawasumi

アーティスト
1992年愛知県生まれ。東京都在住。
犬、カニ、車、パイナップルなどの絵を描き、木材なども使用した大きなものなど、幅広く制作している。
主な展覧会に「The Bear year」(Gallery FINGER FORUM、愛知、2013年)、「science fiction Ⅱ」(Art spot Korin、京都、2014年)、「ド根性絵画説」(名古屋市民ギャラリー矢田、愛知、2015年)、「アートアワードトーキョー丸の内 2015」(丸ビル1F マルキューブ、東京、2015年)などがある。

《I’m a dog》2015


小島章義
Akiyoshi Kojima

アーティスト
1979年愛知県生まれ。愛知県在住。
絵画作品を主題に平面作品の他、近年ではレリーフ、立体作品なども制作している。
主な展覧会に「FROM yadokari tokyo vol.14」(itadaki BLDG.、東京、2015年)、「Unknown Nature」(早稲田スコットホールギャラリー、東京、2014年)、「アートプログラム青梅 雲をつかむ作品たち」(青梅市立美術館、東京、2013年)「little island」(GALLERY TERRA TOKYO、東京、2013年)などがある。
little-island.webnode.jp

《factor X》2015


堀 至以
Chikai Hori

アーティスト
1988年愛知県生まれ。石川県在住。
ドローイングを制作の土台とし、抽象的な絵画及び立体の制作を行っている。制作の中での発見を形態化していくことで、変容する可能性を内包した作品について思考している。
主な展覧会に「Make The Plant」(問屋まちスタジオ、石川、2014年)、「ファン・デ・ナゴヤ美術展2014 虹の麓-反射するプロセス-」(名古屋市民ギャラリー矢田、愛知、2014年)などがある。
horichikai.web.fc2.com

《Fragment》2014


守本奈央
Nao Morimoto

アーティスト
1991年兵庫県生まれ。愛知県在住。
平面、立体を問わず、「なんともいえなさ」「とるにたらなさ」などの弱くかすかな気配をテーマに手法を固定することなく制作をしている。作品がなにものにもなりきらない状態をよしとし、従来とはことなる絵画へのアプローチを行っている。
主な展覧会に「ド根性絵画説」(名古屋市民ギャラリー矢田、愛知、2015年)、「森のオープンスタジオ」(美濃加茂文化の森、岐阜、2015年)などがある。
www.nao-morimoto.com

《オムニバス(いのち)》2015


島 敦彦
Atsuhiko Shima

愛知県美術館館長
1956年富山県生まれ、愛知県在住。富山県立近代美術館、国立国際美術館を経て現職。主な企画に「瀧口修造とその周辺」(国立国際美術館、大阪、1998年)、「小林孝亘」展(国立国際美術館、大阪、2000年)、「O JUN」展(国立国際美術館、大阪、2002年)「絵画の庭 —ゼロ年代日本の地平から」(国立国際美術館、大阪、2010年)、「あなたの肖像 —工藤哲巳 回顧展」(国立国際美術館、大阪、2013–14年)などがある。


佐藤克久
Katsuhisa Sato

美術家
1973年広島県生まれ。
愛知県在住。活動当初は概念的な立体や写真作品を発表していたが、近年は絵画形式を中心に制作している。
主な展覧会に「反重力」(豊田市美術館、愛知、2013年)、「リアル・ジャパネスク」(国立国際美術館、大阪、2012年)などがある。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。
satokatsuhisa.jimdo.com

《ものだね》2015


開催日|2015年12月19日(土)18:00–20:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|川角岳大、小島章義、堀 至以、守本奈央、島 敦彦
聞き手|佐藤克久
来場者|93人