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ドキュメント

MAT Exhibition vol.2
「絵画の何か」
トークシリーズ「絵画の夕べ」
第3回「絵画のこれから」

島|オリジナリティについて、私の場合は長年美術館にいるので、これまで数回特定の作家の個展を企画してきました。外側から見てみると、「なぜ島がその画家なり彫刻家なりをその時点で選ぶのか」については、私にとってその作家がオリジナルな存在だと思って選ぶわけで、いくつか理由があるのです。日本語に「機が熟す」という言葉がありますね。「このタイミングかな。」という時期があるのです。なぜそう思い始めたか。実は、私は理工学部出身で、金属工学を専攻していました。油絵も描いたり、いろいろあって、富山県立近代美術館に学芸員として潜り込みました。ですから最初は何も分かりませんでした。その当時出会った写真家の安齊重男さんが「金属工学出身だから実践がないので困っている。」と話す私に対して、「島さん、そしたら展覧会をたくさん観るべきだ。」と言ってくれました。それはたくさん観て、こぼれ落ちるものが多い方が良いということでした。たくさん観れば、だいたいつまらないものが見えてくるわけです。それから私は画廊巡りを35年間やってきました。そうすると「今ちょうどこの作家の展覧会をやるべきタイミングじゃないか。」とか、だんだん見えてくるわけです。だからオリジナリティ云々とか良し悪しではなくて、観た結果として「今はこの作家の個展。」とか「あの作家はもう少し待った方が良い。」、そういうことが自然に見えてきますね。もう1つ、私が基準にしていることは、「作り手がきちんと言葉を持っているか」ということです。その作家がどういう文章を書いているか、あるいは誰とどんな話をしているかというのをある程度調べて、それを基準にします。あまりにもとりとめのない会話だったり、あるいは言葉が見えにくかったりする作家の場合は、時間をかけてもう少し待つ、そういう感じで見ていますね。

川角|言葉というのはどういうことですか。

島|言葉というのは、文章が上手、下手ということではなくて、その作家なりの言葉が形になりかけているとか、少し漠然としているけれど、その時に私が読んで私なりに納得できるかどうかということです。

川角|その作家の言葉というよりは、皆が理解できる共通言語ということですか。

島|それもありますね。私だけじゃなくて、私というごく普通の人間が読んだ時、あるいはその作家が語っている言葉が普通に納得できるか。要するに、美術史の知識がなくても、その作家の言葉がすんなり入る、落ちてくるというか、そういう言葉を持っている作家を結果的には選んでいますね。

佐藤|「絵画のこれから」について、実は本当はこんなにはっきりしていなくて、常に矛盾した状態にいます。1つ何か言うとその言葉のうちに矛盾が出てくるので、そんなにはっきりとは言い切れないです。この私の危機感について、出展作家の4人はどう感じているのか聞きたいです。

堀|まず企画テキストを読んだ段階で、僕は「そうだよね。」とは思わなかったです。佐藤さんは僕より年上で、展示経験も豊富ですし、それほどの作家が抱える問題なのかなと最初に思いました。僕はどちらかと言うと、自分自身をもっと磨く、「自分が作家として何をすべきか」ということに悩んでいることが多く、この先佐藤さんが抱えるような問題があるならば、それは考えておきたいと思うスタートでした。

川角|僕も危機感については、堀さんと同じ感じですが、そもそも自分が何かをつくることにいつも危機感を持っていて、それはすごく個人的なことかもしれないです。もしかしたら、佐藤さんの世代になったらその危機感が理解できるのかもしれません。

小島|僕の場合は、企画テキストを読んで「同じようなことを僕も考えていた。」と共感しました。後々、佐藤さんと話をしていくうえで、世代が近いので、受けてきた教育の過程や問題意識が似ていて、僕は漠然と共感しました。危機感という言い方は語弊があるかもしれないですが、コンセプトやテーマがないといけないとか、追い詰められていたように感じています。最初は好きな漫画を似せて描くのが楽しくて絵を描き出したけれど、そのことをないがしろにしてしまっていて、「今の美術ってこれが流行だ。」とか「こういう提案したら新しくない?」ということが常に更新されていて、人と競うスポーツのようになってしまっている気がします。そこに僕は危機感を感じます。だから実際にここで納得してしまった時点で、同じようなことを考えていた人はここにもいて、そうやってカテゴライズされてしまう。この場で話していること自体が危機感で、合宿の時にも話をしましたが、この4人ではそんな展示はしたくないと思いました。「皆でムーブメントを作っていこう。」という流れにはしたくない、各々好き勝手やりましょうという姿勢で僕はいたいです。

守本|佐藤さんの言葉で、「経験をモトにした『実感のこもった画家の言葉』は、特別なように思えるのですが、ある程度の経験を積んだ画家同士なら共有できる感覚です。この画家の感覚をオープンにすることで、取り立てて特別なことではないということと、特別なことが見えてくるかもしれません。」と書かれています。この次に「共通認識から先の“ある境地”に向かうためには、もはや一人きりで立ち向かうのではなく、多くの経験と言葉を共有し、特別なことを拾い上げ、それらを推進力にして未だ見ぬ絵画を目指せたらと思うのです。」と続きますが、その「“ある境地”に向かうためには、もはや一人きりで立ち向かうのではなく」という部分が私にとってはすごく切実さを感じる、リアルな言葉だと感じました。私個人のことでは、危機感というよりむしろ、私や私と同じ世代のまだまだ作家として生まれたての世代を見ていて、私はむしろ希望のようなものを感じていて、美術ということでは「まだまだ先に何かあるぞ。」と実感を持っています。行き詰まっている、切実さを持っていると言われた時に、「私からしたら希望はあるように思えていたのに。」とびっくりして、「まだまだ希望はありますよ。」と言いたかったです。もし誰かが1人きりで立ち向かえないようになっているとすれば、「私もここにいますよ。」と一緒に立ち向かいたいと思います。

佐藤|心強い言葉ですね。おそらく、考え方が否定的になって、とかく良い部分が見えなくなるので、いろいろ心が洗われた気持ちになりました。ありがとうございます。

島|よく「作者と作品」と言いますが、「作者が作品のことを1番分かっているのか。」と言われたらどうですか。

佐藤|私はそうではないかもしれないと思っています。

島|そうですね。私もおそらくそうだと思います。結局、作者も作品にとっては他者であるということです。だから、自分で作っていても自分で話すよりも他の人がその作品について語った方がより理解できるということはあると思いますね。ただ一方で、作家自身で言葉を磨かないと、なかなか伝わらないとも思います。私もそんなに明晰に話をできる方ではないですが、この4人の作家は、若くてどうしてももどかしい言い方にはなりがちですし、そこをできるだけ取捨選択して、自分なりに言葉を磨いてほしいですね。まだまだこれからだと思います。私の理想として、近所にある八百屋さんのおばさんにも伝わる言葉で、作品や私がやっていることを伝えたいという思いがあります。だから、ごく普通の言葉でごく普通に伝えたいと思っています。

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プロフィール
川角岳大
Gakudai Kawasumi

アーティスト
1992年愛知県生まれ。東京都在住。
犬、カニ、車、パイナップルなどの絵を描き、木材なども使用した大きなものなど、幅広く制作している。
主な展覧会に「The Bear year」(Gallery FINGER FORUM、愛知、2013年)、「science fiction Ⅱ」(Art spot Korin、京都、2014年)、「ド根性絵画説」(名古屋市民ギャラリー矢田、愛知、2015年)、「アートアワードトーキョー丸の内 2015」(丸ビル1F マルキューブ、東京、2015年)などがある。

《I’m a dog》2015


小島章義
Akiyoshi Kojima

アーティスト
1979年愛知県生まれ。愛知県在住。
絵画作品を主題に平面作品の他、近年ではレリーフ、立体作品なども制作している。
主な展覧会に「FROM yadokari tokyo vol.14」(itadaki BLDG.、東京、2015年)、「Unknown Nature」(早稲田スコットホールギャラリー、東京、2014年)、「アートプログラム青梅 雲をつかむ作品たち」(青梅市立美術館、東京、2013年)「little island」(GALLERY TERRA TOKYO、東京、2013年)などがある。
little-island.webnode.jp

《factor X》2015


堀 至以
Chikai Hori

アーティスト
1988年愛知県生まれ。石川県在住。
ドローイングを制作の土台とし、抽象的な絵画及び立体の制作を行っている。制作の中での発見を形態化していくことで、変容する可能性を内包した作品について思考している。
主な展覧会に「Make The Plant」(問屋まちスタジオ、石川、2014年)、「ファン・デ・ナゴヤ美術展2014 虹の麓-反射するプロセス-」(名古屋市民ギャラリー矢田、愛知、2014年)などがある。
horichikai.web.fc2.com

《Fragment》2014


守本奈央
Nao Morimoto

アーティスト
1991年兵庫県生まれ。愛知県在住。
平面、立体を問わず、「なんともいえなさ」「とるにたらなさ」などの弱くかすかな気配をテーマに手法を固定することなく制作をしている。作品がなにものにもなりきらない状態をよしとし、従来とはことなる絵画へのアプローチを行っている。
主な展覧会に「ド根性絵画説」(名古屋市民ギャラリー矢田、愛知、2015年)、「森のオープンスタジオ」(美濃加茂文化の森、岐阜、2015年)などがある。
www.nao-morimoto.com

《オムニバス(いのち)》2015


島 敦彦
Atsuhiko Shima

愛知県美術館館長
1956年富山県生まれ、愛知県在住。富山県立近代美術館、国立国際美術館を経て現職。主な企画に「瀧口修造とその周辺」(国立国際美術館、大阪、1998年)、「小林孝亘」展(国立国際美術館、大阪、2000年)、「O JUN」展(国立国際美術館、大阪、2002年)「絵画の庭 —ゼロ年代日本の地平から」(国立国際美術館、大阪、2010年)、「あなたの肖像 —工藤哲巳 回顧展」(国立国際美術館、大阪、2013–14年)などがある。


佐藤克久
Katsuhisa Sato

美術家
1973年広島県生まれ。
愛知県在住。活動当初は概念的な立体や写真作品を発表していたが、近年は絵画形式を中心に制作している。
主な展覧会に「反重力」(豊田市美術館、愛知、2013年)、「リアル・ジャパネスク」(国立国際美術館、大阪、2012年)などがある。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。
satokatsuhisa.jimdo.com

《ものだね》2015


開催日|2015年12月19日(土)18:00–20:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|川角岳大、小島章義、堀 至以、守本奈央、島 敦彦
聞き手|佐藤克久
来場者|93人