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MAT Exhibition vol.9
「名古屋 × ペナン同時開催展:名古屋文化発信局」(名古屋本部)
レビュー|天野一夫

表層とズレの中から、あるいは台湾ラーメンの先に

 国際展や企画展、あるいはレジデンスからワークショップやトークイベントまで、様々な美術界での手段が塞がれて、まさに発表すら心もとない日常となってしまった。このようなコロナ禍のなか、それを逆手に取るようなユニークな展観があった。
 海外渡航が制限されるなか、日本の名古屋とマレーシアのペナン島の両地での展観を両国のアーティストが同時に開催するという。そんな企画はこれまでなら、まあ無理するなら有り得たろうが、今日の状況においては気が触れていると言っても過言ではないだろう。
 直接会うことなく、現地に滞在し、生の現場をリサーチし、具体的に展示し合えない中での、両国の7組(人)< 日本4、マレーシア3 >が、あろうことか両所で同時に作品を展示する。通常ならば中止、延期すべきところを(それも調査・準備には2か月も無かったと聞く)あえて行うという豪胆さには驚く。ただし、この展覧会が他と異なる特色はまさにそこに起因する。<オンラインでの疑似レジデンス>という聞いたことの無い、ほとんど冗談と言った方が良いことを実践してしまったのだ。名古屋港をバックに思い思いのいで立ちで整列するフライヤー写真も実は合成だという。同時開催の他国での展示実施にあたりあえて<輸送無し>という鉄則を設定し、Zoomによる度重なるミーティングによってコミュニケーションをとり、相互の土地の作家が代作して展示するという形をとったという。無論、そこではあるズレは避けられない。比較するにかつてのソル・ルイットをはじめとしたコンセプチュアルアーティストたちの直接作業無しの指示書による作品では、個人的なメティエから離脱しようとするゆえに逆に精緻な作業が要求され、実際的な物質感などの具体化の作業をコンセプトが凌駕して余りあるだろう。今回はコンセプチュアルというより、ほとんど深い文化接触の無いままに、会話の彼方の文化的背景を想像しながらの表面的な模倣的作業にならざるを得ないし、また制作者も異なるから細部までの完成度は問えない中での物への対応となる。さらに異なる二つの場での具体的な展示では双方が行くことのできない場を確認しながらも、現地の他者に制作を任せることとなったようだ。むしろ双方が忠実な他者の代作というよりも、ズレも含めた作家的解釈によって制作することで、むしろ異なるものが他所で発生することの興味と面白さを感じ合っていたきらいがさえある。
筆者はマレーシアこそ若干知るもののペナンは未知だが、ペナン島はインド、中国、そして英国領、そして一時の日本領時代まで、仏教からヒンドゥー教、イスラム教、キリスト教までの文化・宗教が積層している港町であり、英国領時代の面影を濃く残すジョージタウンが世界遺産になっていることでよく知られている。マラッカ海峡の交通の要衝にある、東西文化の交差点的な性格を持つペナンこそ、本展のような自由な交流が可能な地盤があったのかも知れない。さらに忘れてはならないのは、日本側の言う「大東亜戦争」において、シンガポール陥落にいたるマレー作戦の重要拠点であって、戦時前半の高揚感の中で、絵画、映画が制作された起因の場所でもあったことだ。
 今回、なぜか主題は「名古屋」ネタとなっていたが、それはペナンの作家3名の内2人は名古屋の会場も訪問していたということで、マレーシア側からの提案としてモティーフを「名古屋」に設定して「名古屋文化発信局」という名のナンチャッテ機関の名古屋本部とペナン支局としたと聞く。ここには非常時を哄笑で対そうとする姿勢がある。対象と、作家の作業とが横滑りしていき、そこで生じる誤解もズレも許容し合う全体が緩やかな寛容性と遊びが前提になっていたと言っても良いのではないか。その美術的な柔軟な視点での制作は、むしろ視点こそが美術であるということを強調することになる。それでも片肺的なアンバランスさは初めから分かっていたはずだ。場所は名古屋港の港まちポットラックビルー会期半ばはロックダウンの渦中であったというーと、ペナンのスペース。日本のわれわれにとっては、より恵まれない過酷な環境の中でのペナン展は作品理解と見ごたえも危惧するところだが、それを上回る文化変換には、よりハイブリットであろうペナンの方が合っていたかも知れない。
 具体的に触れておこう。 
 木下雄二とフォレスト・ウォンは2人がコラボしながらの中の名古屋港地区をリサーチし、両者のリアルにして想像上の名古屋港のマップが重なり、さらにそれを絵文字で記されるのだが、それは第三者のわれわれにとってはむしろ最も読解不可能な第三のものとして生成していたのではなかったか。
 工芸は美術の周縁部と解されるが、実際、本来、日常性に密着しているがゆえに人の生にダイレクトに関係する。宮田明日鹿は家庭用編み機で制作してきたが、今回は港町のお土産としてかつて日本独自の制作を誇った「ペナント」を作り、そこに土地の人にリサーチして浮上してきたエネルギー工場にまつわるスケッチ、言葉を編み込む。また、テトリアーナ・アフメッド・ファウジもマレーシアで日本風デザイン布を販売していたその名も「ナゴヤテキスタイル」という企業に着目し、共に包む機能性を持っている風呂敷とサロンという2つの文化的な布をそれぞれの文化の象徴物としてリデザインした。2人ともに歴史的な古層を掘り出し、それを日常的な物として再び転化していた。
 そして山下拓也は名古屋の<奇人>として、名古屋を紹介していたラッパーの「TOKONA―X」と、アートコレクター「刃物屋伊藤」が粘土像で作られ、そこに彼らの姿を名古屋ネタのモノ物とともに映像プロジェクションする。その映像を送り、制作過程の様子を見て模作してもらいペナンでは展示したようだが、ド名古屋にして不可解な2人の言葉とキャラクターに日本の一般人以上にペナンの人びとには輪を掛けて奇態なものとして映ったのではないか? おそらくは正確な理解は不可能。ただし、立体と映像の混交と相まってのその反時代的で異様な感触には触れ得たのではないか。その齟齬と美術による理解は異文化接触の醍醐味かも知れない。
 また今回のペナン側のキュレーターでもあるフー・ファンチョンは名古屋のシャチホコをペナンのムツゴロウに転化させて現代ペナンの象徴としての高層ビルの上に設える構想を出しただけでなく、ムチホコ(シャチホコームツゴロウ)を木彫したようだ。まさにハイブリッドな読み替え、積極的な誤読!
 その点、徹底的に逆手にとった戦略をとったのが、D.D.≪パラドキシカルなリフォーム屋≫であった。両国の文化性にはあえて立ち入らずに、会期前に様々な「非合理な、不便な、クレイジーなリフォームのオーダーを募集」して、会期中にその難問にアーティストの2人が答えを図化し記したものが会場に貼られていった。筆者もメールで事前にその難問をあえて出した者だが、そのフィードバック案を会期中に見に行くという楽しみを味わい、展覧会というものの新たな使用法として新鮮なものがあった。しかし、そもそも家こそがそれぞれの文化の異なりが出てくる場ではなかったか?その意味でも今回、ペナンからはオーダーが来なかったというが、両国を横断する交流が見たかったことも事実ではある。
 このような、通常とは異なる重層するネガティブな条件をほとんど<ゲームの規則>として設定して、その場のアクシデントとズレをこそ楽しむかのようにするという、既存の作家性を緩やかに考えるなかでの別の創造性を志向すること。これは、<もう一つの作家・作品>が生まれ出る、<もう一つの展覧会>の場であったのだ。とするなら、これは王道の展覧会(国際展)とは別の、例外的にして不可解な営為をこそ楽しむべき場であった。そこではかつての<作家>は誰もいなかった。
 全てがマイナスななかで、全てを直接関与性や、作家専制性からずらし、異なる場で疾走し始めている。それは実は作品と解釈との相においても同様であるが、<オリジナルなもの><本来のもの>とは異なるものが生成し始めていても良しとすること。そのことはファインアートにおいては不純にして許しがたいことかも知れないが、二次創作性という、既存の著作権とは別のところに展開するアニメーション、コミックなどのサブカルチャーにおいては常例と言ってもいいことではある。または誤読と解釈性が作家側にも許容され、自らの創造性として認識し得ること。それは実は古来行われてきたことかも知れない。
 名古屋を代表するアイテムとして「台湾ラーメン」というものがある。台湾に行っても、他の日本の地域にも無い食品で、一説には名古屋人は他所に無いことを知らないという、まさしくれっきとした名古屋固有のしろものである。ある名古屋の中華飯店のオーナーが台湾に行き、現地で食し感動して、自分の店で開発した食品が広まったという言わば「誤読的文化」。中国人とともに食すことは恥ずかしいものの、これが「地域文化」だと胸を張って言い切れる時に、この国の近代の折衷的な加工文化も見えてくるかも知れない。そのことは、実はペナンのハイブリットさとも通底してはいまいか?様々なる文化接触は不思議な局面を見せ、双方を豊かにしていく。それは歴史家アーノルド・J・トインビー、あるいは加藤周一の「雑種文化」を引くまでも無い。同様に日本の、アジアのキュビスムを見て、キュビスムの本質が不明とした意見もあるが、文化には発生体を基準とした尺度での正しさと誤りがあるのではない。そこからは日本、アジアの文化は見えてこない。更紗も本質的にハイブリットなデザインであることは知られているだろう。
 現代の作家は、近代の作家とは異なり、他者と自分との関係性を歴史的に、そして双方向的に、否、第三者的に相対的に見る視座を持てる。ゆえに、自覚的に自分とのズレを生じさせる中で、それを面白がれるし、その創造性も良く知っている。身体性を絵文字に変換したり、名古屋弁ラップと名古屋の奇人の翻訳不可能性も、さらに出題者の想像を超えたリフォーム案も、美術が言語を超えて寛容にして多様な視座を持ちうることを前提にしているから成立するのである。
 今後、名古屋港一帯ではアジアを中心とした国際的な関係展開が始まろうとしているが、本展はそのまさしく零度のプレ的な展観というべきだろうか。

プロフィール
天野一夫
Kazuo Amano

美術評論家
1959年東京都生まれ、愛知県在住。O美術館学芸員、京都造形芸術大学教授、豊田市美術館学芸員を務める。主な企画に「ART IN JAPANESQUE」(O美術館、東京、1993年)、「メタモルフォーゼ・タイガー」展(O美術館、東京、1999年)、「近代の東アジアイメージ —日本近代美術はどうアジアを描いてきたか」(豊田市美術館、愛知、2009年)、「変成態 —リアルな現代の物質性」展(gallery αM、東京、2009–10年) などがある。