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ドキュメント

MAT Exhibition vol.9
「名古屋 × ペナン同時開催展:名古屋文化発信局」(名古屋本部)
レビュー|服部浩之

AIRの仕組みや意義を再考する

 コロナ禍で制限が続く、移動、人と直接出会うことや飲食を共にすることなどは、これまでアーティスト・イン・レジデンス(以下、AIR)においては必要不可欠なアクティビティだったはずだ。それができないなかでAIRを実施するのは不可能に近いと感じていた。しかし、実際には昨年からオンラインによるAIRはさまざまな場所で試みられ、不可能と思われたプログラムがなんとか続けられていることに、人のくじけなさやしぶとさみたいなものを感じる。
本事業を実施する名古屋港界隈を拠点とするMAT, Nagoyaは、アーティストや近隣の人びとと密な関係を築いてきたことで知られる活動で、「social distance」とは真逆の態度をずっと維持してきた。海外との直接的な往来が不可能ななか、マレーシアのペナンという港町と交流プログラムとしてオンライン・レジデンスを実施できたのは、「密なコニュニケーション」を重視する港まちの態度が基底にあったからだろう。これ自体は素晴らしい成果だ。
しかしながら、AIRに携わった経験を持つものとしては、AIRの肝はやはりアーティストが未知の土地に身をおき自らの身体で経験することにあると信じているため、どんなに密にコミュニケーションをとったとしても、オンラインで実施する意義があるのか、幾ばくかの疑問を持っていた。何もしないより何かアクションを起こすことはもちろん重要だし、とにかく見てみようという気持ちで成果展を訪問した。
展示は、名古屋とペナンのアーティストが対になりコラボレーションすることで生まれる作品が軸になっている。通常のAIRではこのようにコラボレーションが頻発することはあまり経験がなく、オンラインでの密なコミュニケーションを利用するからこそ、この場は生じたようにも思われた。
ただ、会場で最も記憶に残ったのは、2つの都市のスタッフやアーティストのzoomによる膨大なコミュニケーションの全記録を録画した早回しの映像だった。通常の展覧会ではほとんど表にあらわれない「コミュニケーションの記録」の展示がいったい何を意味するのか。現地に行くことができれば、アーティストは気ままに界隈を散策し、制作のきっかけとなる種を見つけ、さまざまな人の協力を仰ぐにせよ、作品はアーティストの自発的な行動により生まれるものだ。しかし、ここでは多数の関係者の膨大なコミュニケーションを経ないと制作がすすまない。あるいはそのコミュニケーション自体がAIR(滞在制作)そのものであるようだ。
AIRは元来人材育成に主眼が置かれ、その仕組みを生んだ欧米では滞在アーティストの制作スタジオの整備や、アーティストがさまざまな専門家たちと交流しネットワークを築くことなどが重視されてきた。一方で、日本では多くの地方公共団体がAIRを国際交流や地域振興なども期待して導入した経緯もあり、地域住民との交流を奨励されることが多く、地域に入って人と交わるなかで制作活動を行うプロジェクト型の活動やリサーチベースの活動が積極的に取り組まれてきた。AIRが本格化する90年代後半以後、ニコラ・ブリオーが提唱した「関係性の美学」*が広まり、日本型のAIRを推進する理論的な支柱ともなり(とはいえ未邦訳のためか、このフレーズのみが一人歩きしさまざまに誤読され続けてきた部分もある)、造形的な成果物に囚われない、コミュニケーション型の活動が発展していった。
このような前提において現在の日本の多様なAIR活動があることを踏まえたうえで本展を見ると、密なコミュニケーションが視覚化されたことは必然とも思われる。

いずれにしても、現在のような状況下では、より「密」にコミュニケーションをとらざるを得なくなったことは確かだろう。他者の手を借りないと遠隔で作品を成立させることは難しいので、しっかりとコミュニケーションをとる。密度と丁寧さがより求められる状況が生じている。それでも私は、レジデンスなるものはもう少しゆるく、適当さがあってもよいのではないかと感じないでもない。
そんなことに改めて気づかされるほど、丁寧に真剣につくられたレジデンスプログラムであり展覧会であった。関係者の苦労と努力は容易に想像されるし、見応えもあった。コロナ禍において、往来できないなかでのAIRを通じた展覧会として、特筆すべきだろう。
とはいえ一刻もはやくコロナ禍が収束し、人の往来が可能になったうえで、直接的な接触や交流によるAIRや展覧会が待ち望まれていることも強く実感した。

*Nicolas Bourriaud, L’esthétique Relationnelle, Presses du réel, 1998
Nicolas Bourriaud, Relational Aesthetics, Presses du réel, 2002

プロフィール
服部浩之
Hiroyuki Hattori

キュレーター
1978 年愛知県生まれ、愛知県在住。
2009年から2016年まで、青森公立大学国際芸術センター青森[ACAC]学芸員。つねに「オルタナティブなあり方」を意識の根底に据え、MACという略称をもつアートスペースを山口、ハノイ、青森などで展開。近年の企画に、十和田奥入瀬芸術祭(十和田市現代美術館、奥入瀬地域、2013年)、「MEDIA/ART KITCHEN」(ジャカルタ、クアルランプール、マニラ、バンコク、青森、2013–2014年)などがある。あいちトリエンナーレ2016キュレーター。