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MAT Exhibition vol.9
「名古屋 × ペナン同時開催展:名古屋文化発信局」(名古屋本部)
レビュー|ハサヌル・イシラフ・イドリース

名古屋文化発信局を振り返って

 名古屋文化発信局(NCPU)は2つの港町が交差するプロジェクトだ。港町は、コミュニティや建築的側面でユニークな文化交流が起きるメルティング・ポットだと、個人的には考えている。ギャンブル、ナイトクラブ、部外者、有機薬物、貿易、言語交流、多国籍料理は、港町の核となる要素だ。これらはマラッカの黄金時代から時空間を超え、現代のシンガポール、ペナン島、香港、そして名古屋へと引き継がれている。

ポルトガル人が日本人に料理油を紹介し、ポルトガルの宣教師が伝えた技術である天ぷらなど、新しい味わいが花開いた。同様に、それまで弓と刀で戦ってきた日本人に、ポルトガル人や中国人からマスケット銃がもたらされた。このように、港町の間の貿易は、それ以前のグルメ体験や軍事戦略を破壊し、新しい高みへと再生してきたことが明確に見てとれる。

愛知出身で街の名前を冠したラッパーに注目した山下拓也の作品、TOKONA-Xを見て思い浮かべたのは、ダフト・パンクやカニエ・ウェストといった著名アーティストとコラボレーションしたラップグループ、TERIYAKI BOYZだった。彼らはTokyo Driftのサウンドトラックの首謀者だ。日本のラップシーンは、スタイルや音楽を継承し、アンダーグラウンドなマンガやおもちゃにまで掘り下げられている。TOKONA-Xは、井上三太のマンガ『東京トライブ』を思い起こさせた。そこで描かれるのは、なわばりをめぐって争うティーンエイジャーで、野球のバットで武装し、ビデオゲームに興じる傍ら、ラップを爆音で響かせヒップホップなライフスタイルに溺れている。

TERIYAKI BOYZの音楽帝国の拡大は、日本各地にアンダーグラウンドなヒップホップやビーボーイパフォーマーの小さなコレクティブへと派生していった。TOKONA-Xもその一人だった。作品の中で彼は名古屋の至るところで、デパートのようなところでもラップをする。私にとってラップ音楽とは、サンプリングとビートとリズムを新しいかたちへと結実させたコラージュだ。もうひとつ面白い点は、粘土の土台に置かれた複数の多面体の面に、TOKONA-Xのミュージックビデオがプロジェクターで映し出されて、アジアの都市のナイトライフを象徴するネオン看板のようだった点だ。ラップがそうであるように、作品は力みのないシンプルなもので、自然発生的で確かな場と空間から生み出されていた。

TOKONA-Xの並びにあるもうひとつの作品が刃物屋さんだ。名古屋の芸術活動における重要人物への捧げもののようなものに感じたが、厚紙と粘度でできた現代的な神社のようなものでもある。彼自身の絵画の画像の隣に置かれた刃物屋さんの顔が、彼の分身の中心に据えられ、そこに彼の会話の記録映像が投射されている。この配置は名古屋のアートシーンにおける彼の影響の大きさを物語っている。

他方で、宮田明日鹿の作品は、港そのものの記憶を掘り下げる。港で作られたお土産があったとしたらどんなものか、地元の人達に尋ねた会話の録画に基づいていた。質問から浮かび上がってきたのはペナント、アメリカの大学生に親しまれる三角形の旗だ。一度だけ、恐らく招福か成功の象徴として下げられているペナントを、隣人のリビングで目にしたことがある。もしかしたら、宮田はそういうものを実現しようとしたのかもしれない。

テトリアーナ・アフメッド・ファウチは、「紋章」の模様のようなマングローブのパターンを真似て、シルクスクリーンで印刷し、旅人用の肩掛けカバン「サロン」を作った。サロンは日本の伝統的な包布「風呂敷」でくるまれ、2つの文化のハイブリッドなものを創り出した。この作品はインドネシアのチルボンのバティック文様「メガ・ムンドゥン(雨雲)」を彷彿とさせる。雨という、どんな港にも欠かせない天候を象ったシンボルでいっぱいだ。

 4uto-c0rrec4はフォレスト・ウォンと木下雄二との共同制作で、パフォーマンス、紙に描かれたもの、タブレットに映された絵文字のチャット履歴などによる作品だ。制作当初、彼らに立ちはだかったのは言語の壁だった。言葉の世界の狭間で迷子になった彼らが見つけたのが、絵文字というコミュニケーションツールだった。絵文字は、毛が青く顔が真っ赤な巨人の絵へと発展し、森の茂った丘を背景に、階段下に貼り付けられた。これが彼らの創作の端緒となり、名古屋の地図に命を授けていった。フォレストが、彼の生まれ故郷、ヌグリ・スンビランという小さな町に思いを馳せることで、彼の日本でのあらゆる思い出が懐かしい回想へと変わっていった。ナレーションをベースとした彼のパフォーマンスには、祖母の家の裏の丘陵や、果樹園で1日過ごした後に一緒に飲んだお茶を飲んだことにも触れられていた。観客は、受け入れざるを得ない雰囲気のなか、お茶に誘われた。バーチャルな刺激のはずが、舌の奥への感覚体験を引き起こした。プレゼンテーションの間、彼はマンディ・ブンガ(花びらを浮かべた沐浴)の儀式を演じ、1人の観客の足を洗った。神道では水は聖なるものとされている。寺院に入るとき、肉体と精神の浄化を意味する水で、自身を清めなければならない。4uto-c0rrec4はたくさんのパートで構成されている。デジタル技術が名古屋の思い出マップづくりへと変容し、最後は半ばスピリチュアルなパフォーマンスで幕を閉じた。

 Life is a Carnivalは、D.D(染谷亜里可と今村哲)という二人組によるプロジェクトで、美術をその枠組みから押し上げて、建築や社会学の要素を取り入れる。彼らのプロジェクトは(かっこいい意味で)不条理で無意味だ。Life is a Carnivalは、相容れない建造物を、支持もしなければ阻みもしないのに、むしろ逆説的で疑い深い。作品は、展示空間の左側にそびえる壁に似ていて、様々なサイズの丸い穴が開けられ、黄色く塗られている。

 私にとって黄色といえば、世界中のどの都市でも容易に見られる注意看板の色だ。その壁は、招き入れているようで侵入を拒んでいるのに、外からはいたって楽し気な見た目をしている。表面上は公共財のようでいて受動的攻撃性がある。私にとっては、相反する建造物そのものである。D.Dはそのような対立する方法論を、皮肉さと巧妙さで解体してみせた。

 全ての都市は民主主義的であるべきだと思っている。なぜなら、労働者から中流・上流階級に至る全ての人たちのために建てられているからだ。都市は遊び場のように活気がなければならない。例えば、スケートボーダーは、モールの前にあるコンクリート製のベンチを、交流の場にも、遊び場にも、他者と関わる場にもすることができる。不運な浮浪者は、道路や公共空間を待ち合わせ場所にして、ごみごみして物が多く、暗い低コスト住居からいっとき離れて、また生き生きし始める。相反する建造物の強力な締め付けは、人間性を脅かしはしないが、明らかに、植生や野生生物を傷つけている。私見だが、この課題を解決するには、パランスと妥協が必要だ。

ムチホコは、名古屋とジョージタウンの間で交わされる架空の外交贈呈品だ。沿岸地域はいつでも、陸地と海との間の象徴的関係が浮かび上がる場所だ。海岸近くで日々を過ごす人たちは、生計を立てるために陸海両方の生態系を活用することができる。彼らは波を超えで航行し、海を泳ぎ、水に関する深い知識を持っている。マングローブのような多数の植物が生存し、陸海両方で繁茂する。動物も、陸海両方の環境に適応する進化力に導かれてきた。例えば、ブランカス(馬蹄ガニ)、クタム・パヤ(泥ガニ)、ニャムッ(蚊)、イカン・ブランカス(ムツゴロウ)がその例だ。前史期から、真似ることが彼らをたくましい生き物にしてきた。ムツゴロウは水中を泳ぐことも、泥をかきわけて進むこともできる。彼らの滑りやすい体、大きく発達した顎、幅広のヒレは、どこか航洋船に似ているところがある。

コムタのムチホコという作品に欠かせないのは、突然変異だ。フー・ファン・チョンは、ペナンのランドマークのひとつであるコムタ(KOMTAR:Kompleks Tun Abdul Razak、注:超高層ビル)の左右の先端に、黄金のムツゴロウの彫刻の設営を発案した。2体のムツゴロウは建物の新しい装飾となり、邪悪な魂を追い払い、火事を防ぐ。これが倣っているのは、虎の頭と巨大な顎を持ち、名古屋城の屋根に鎮座する架空の魚「しゃちほこ」だ。

彼はムチホコを、北方の前アイコンとしてのコムタの歴史や遺産の砦にしたかったのか?都市の高級化に関する声明か?あるいは、後進の島で起きている熱心すぎる発展への抗議の表明としてか?

アーティストは、社会を映す鏡をもちながら反射させるパイオニアである。彼らは、無数の層と視点を通して、周囲の環境に反応し、生きる。この展覧会は同時代的なアプローチで名古屋のユニークな特性に焦点を当てている。名古屋文化発信局のアートディレクションでは、主たるハイライトにファンタジーが用いられた。名古屋の港まちは膨大な観点から演出された。唯一の障壁は空間であったかも知れず、広い会場であれば、作品にも鑑賞者にも、余裕が生まれただろう。しかしながら、この展覧会はマレーシアのアートシーンにとって大きな刺激となっている。限られた時間の中でも、アーティストたちはなんとか洗練された形で表現した。このプロジェクトのように好奇心を掻き立てるプロジェクトを、国際交流基金が今後も手掛けていくことを切望している。

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