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MAT Exhibition vol.1
THE BEGINNINGS (or Open-Ended)
クロージングトーク

飯田|私も毛利さんが名古屋とつながっているとは思っていなかったです。10年、20年後の将来、形になるかもしれない種を滞在制作していく中で育んでいくというのも、おそらくMAT, Nagoyaができるサポートだと思いますし、作家に対して「すぐ形(作品)にしてください。」ということではないのも大事だったのではと思います。そういえば、スキャナの作品は前にも作っていましたね。

毛利|スキャナは2006年頃からどうにか作品にできないか、と買っては壊しという実験を繰り返していた素材でした。2008年にイギリスで開催された「ブロードキャスト」がテーマのグループ展に参加した時にスキャナを使った作品《Beard Cast Media》を発表しました。実は世界で初めてブロードキャストされた映像はイギリスが発信したらしいです。当時ブラウン管がテレビの元祖だと思っていたのですが、そうではなく大きなディスクに小さな穴を渦巻状にあけて回転させ、対象物の画像情報を点の連なりに分解して配信し、同じような穴が空いたディスクがついたテレビで受信する方法で放送をしていたようです。上から下にスキャンしていくスキャナのイメージに近いですね。ブラウン管の発明の前ですから、対象物を情報として送るのは大変難しいことでした。イギリスのメディア・ミュージアムで世界初、人間の顔がブロードキャストされた様子の写真を見せてもらったのですが、顔がゴーストのように、ぼやけ、歪んでいました。その印象がすごく強かったのを覚えています。その時に、発明品としてはまだまだ不十分だけど、このメディアの作る「歪み」がとても面白いと思いました。そこで、昨今のデバイスでも何か「歪み」が作れないかと。きれいで正確に情報伝達するというのは、テクノロジーの主たる目的ですが、カセットテープやレコードの雑音のようなものが、懐かしさを彷彿とさせたり、時代性を感じさせたりする、そういうノイズだと思われている表情自体が、表現としては有効なんじゃないかと考えていきました。

飯田|メディア・アートをやっている作家の中には、メディアそのものへの関心で止まっている人もいます。毛利さんはメディアに留まらず、それに付随する記憶や感情、人間のエモーションに還ってくる部分を大事にしていると思います。よくメディア・アートで批判されるのは、機械フェチというかテクノロジー礼賛になってしまうことですね。それなら見本市で良くて、美術でなくて良いのでは? となりますが、毛利さんの作品はちゃんと最後には人間に還ってくるところがある。

毛利|私が、なぜブレやボケに興味があるのかというと、それこそが豊かなものなのかなと。必要ないとカットされてしまう前に、なぜノイズがあるのか、その理由に想像を巡らせたり、クリアではないからこそ人は想像力を働かせるのではないかと。今回の新作では心霊写真のリファレンスも入れましたが、心霊写真も、自分がどういう時に心がざわつくか、例えばフロイトで言ったら、ブレたものや歪んだものを見た時に恐怖につながるということが起こる。《大船フラワーセンター》を観て、滑稽に見える。それは《事の次第》にも通じると思いますが、ただものが動いているだけなのに、どうしてあんなにユーモアに映るのかというのは、ブレたり、ズレたり、たどたどしい部分におもしろみが出てくるから。そういうことをやりたいと今回気付きました。

飯田|毛利さんの初期の作品はサウンド・アートの文脈で紹介されることが多く、音楽家とコラボレーションしたり、音が鳴ったりするものが特徴でした。その後に機材を使うということでメディア・アートの中でも語られるようになりましたが、《大船フラワーセンター》のようなインスタレーション作品が作られるようになるまでは、いわゆるファイン・アートでは触れられることはありませんでした。ところが今回Part2で展示している新作では写真が出てきました。奥のスペースでスキャンされているオブジェとその動きが、デジタル信号に変換されたデータとして送られて、歪んでいると同時にとても美しいイメージとして表出されている。まさかこういう展開になるとは全く思っていなかったので、写真とイメージ論の話になったことに、私自身企画した立場としてすごく驚きました。なおかつ心霊写真に興味が出てきたという点。心霊写真を扱った展覧会は世界でもいろいろありますが、心霊写真はかなり構成されて作られたものです。しかし毛利さんの場合、作られた形としての心霊写真ではなくて、信号がたまたま受信されて印画紙の上に乗ってプリントアウトされただけの状態。まさに写真ではなくてイメージ。要するに形のないもの。壁の裏側にあるスキャナから送信されてきた信号が受信され、イメージとして再現され、定着された状態ですね。今回の展示では7枚だけ定着されているけれど、これ以外にもスキャナはスキャンした信号をデータとしてずっと貯め続けているわけですよね。そこには見えないエネルギーの蓄積があって、そうした膨大な見えないものの塊が壁の後ろにあるというのは、考えてみると怖いことでもある。でも人は怖い時でも笑ってしまいますよね。得体の知れないものを見てしまったとか、どう捉えて良いか分からないものとか。発作的に笑ってしまう、痙攣みたいな感じにもつながってくると思います。

毛利|それを考えるきっかけになったのは大学生時代で、1年生は必ず《事の次第》を最初の方の授業で観せられます。美術大学に入るためにずっとデッサンとかやってきて、最初に《事の次第》を「美術です。」と言われたら、それはもう皆、大興奮するわけです。そんな名作と、今回は2期を通して2度も一緒に展示できる機会だったので、今一度《事の次第》をじっくり観て、自分の中に取り入れてじっくり考えることができました。
《事の次第》は、運動の連鎖が永遠と起こり続けているように感じてしまいますが、実はカメラという視点がなければ作品として成り立ちませんよね。彼ら自身はライブパフォーマンスも当時やっていたようですが、カメラが無い限りこうして映像作品として後に残るマスターピースにはならなかったのではないか、ということを改めて考えました。私の作品の場合、インスタレーションなので、それを観ている視点が鑑賞者全員になりますね。その視点は、場所も時間も内容もバラバラです。それは私自身面白いと思って制作してきたのですが、今回はあえて、スキャナという数台のインスタレーションを観て視点を限定したのです。さらに、スキャンしたイメージも展示しました。これもこのサイズや形態で本当に良いのか迷っている最中ですが、最初の空間でこうやってイメージを並べて展示できたことは重要だと思っています。

飯田|今回の展示はプロトタイプで、ある種実験の場としても機能していると思います。展覧会としてオープンしてひとまず完成しているけれど、写真に関してはさらに多様なやり方ができる可能性を感じました。もしかしたら出力形態は写真でなくても良いかもしれないし、さっき言ったように溜まっている膨大なデータをどう扱うかは、この作品にとってはすごく重要なところですね。もしかすると今後の展開で、また別の作品の部分になる種が得られたかもしれないのはとても良かったです。「インスタレーション」というのは1970年代に出てきた言葉で、仮設的な空間芸術を指す言葉ですが、毛利さんの作品には運動が組み込まれているので一過性の性質があって、観るたびに違う作品になり得る可能性がある。それをどうやって100年後、200年後にも観られるものにするか、機材をメンテナンスし続けることとは別に何か定着させることが必要になってくるだろうなと思います。その方法の1つがこの写真かもしれないし、もしくは別のアウトプットがあるかもしれない。そういう可能性が広がったのは、このMAT, Nagoyaというアートプログラムが作家に実験できる機会を提供する役割を果たしているからだと思います。新作を作るプレッシャーはありますが、美術館でも作品を売買するコマーシャルギャラリーでもない、実験できる場として、10年後とかにまた別の作品が完成した時、「この作品は今完成したけど、もともと10年前MAT, Nagoyaで……」と、さっきの2003年のartportみたいな話になっていくと、MAT, Nagoyaの活動がすごく有意義なものになっていくと思います。
また現在のMAT, Nagoyaは、まちづくりの中にあるアートプログラムで、「まちのためであること」の優先順位が高い。それはその通りですが、私は作家がそこに消費されていってはいけないと思います。まちも作家も相互に得るものがあって、ゆっくりでもお互いの糧になっていけるのが1番望ましい。そういう意味では今回毛利さんに新作を作っていただけて本当に良かったです。制作に関しても、テクニカルな部分からメンテナンスに至るまで、MAT, Nagoyaのメンバーの素晴らしいサポートがありがたかったと感謝しています。
今回振り返って毛利さんから、MAT, Nagoyaが今後どのように展開したらより作家が活動しやすい、または今回やれなかったけど、こういうこともやれたら良いなど、ご意見をいただけますか。

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プロフィール
毛利悠子
Yuko Mohri

アーティスト
1980年神奈川生まれ。東京在住。
日用品やジャンクと機械部品を再構成した立体物を展示環境に寄り添わせることで、磁力や重力、光、温度など、目に見えない力をセンシングするインスタレーション作品を制作している。2015年春より半年間、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の招聘でニューヨークに滞在。
近年の主な展覧会に「ヨコハマトリエンナーレ2014」(横浜美術館、2014年)、「札幌国際芸術祭 2014」(清華亭/チ・カ・ホ、2014年)、「Unseen Existence」(Hong Kong Arts Centre、香港、2014年)、「トランスメディアーレ 14」(ハウス・デア・クルトゥレン・デア・ヴェルト、ベルリン、2014年)、「おろち」(waitingroom、東京、2013年)、「サーカス」(東京都現代美術館ブルームバーグ・パヴィリオン、2012年)など。国内外で作品を発表している。東京の駅構内の水漏れの対処現場のフィールドワーク「モレモレ東京」を主宰。
mohrizm.net

毛利悠子
《I/O──ある作曲家の部屋》
横浜美術館(2014)
撮影:田中雄一郎
提供:横浜トリエンナーレ組織委員会


飯田志保子
Shioko Iida

キュレーター / 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科准教授
1975年東京生まれ。名古屋/ 東京在住。
1998-2009 年東京オペラシティアートギャラリーキュレーター。2011 年までクイーンズランド州立美術館に客員キュレーターとして在籍後、「あいちトリエンナーレ2013」共同キュレーター、「第15回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」日本公式参加キュレーター、「札幌国際芸術祭 2014」アソシエイト・キュレーターなどを歴任。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。


開催日|2016年3月27日(日)14:00-16:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|毛利悠子、飯田志保子
来場者|32人