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ドキュメント

MAT Exhibition vol.1
THE BEGINNINGS (or Open-Ended)
クロージングトーク

毛利|今回はこの展覧会だけではなく、このMinatomachi POTLUCK BUILDING自体がグランドオープンで、思ったよりMAT, Nagoyaのメンバーが忙しそうでした。リサーチなどどこに何がこぼれているか分からないので、それも財産としてどこまで一緒に共有するか考えることが大切かと思います。一緒にいる時間が長ければ長いほど、いろいろなことにつながっていくと思いますよ。私は、「タイヤが5本必要!」とかものすごく無茶振りして用意してもらったけど、結局作品に使ってないとか(笑)。いつか使うかもしれないけど。

飯田|Part1の《大船フラワーセンター》では以前このビルが文房具店だった時に使われていたランプを使いましたよね。

毛利|《大船フラワーセンター》はあのまま、現在台湾で展示しています。
リサーチ終盤はずいぶん集中して、MAT, Nagoyaのメンバーとコミュニケーションしていましたが、搬入時やリサーチ段階でももっと時間をかけて、話や経験を一緒にできると良いなと思いました。あとは、いろいろな作家が出入りしていて毎日さまざまなことが起こっていて、私もすごく興奮しましたが、集中してじっくり制作する時間もほしかったですね。事前に余裕を持ってプログラムを組み立てられると、もしかするとその作家の2年後、3年後みたいに先のことも予測しながら一緒に制作もできるのでは。半年という期間はきりが良かったです。Part1をやって間髪入れずPart2というのはプラクティスになるし、自分でも新陳代謝よく作品を作れました。例えばまた3年後もう1回やるとか? そうなると作品がさらに強度や完成度を持つ気がします。

飯田|そういう方法もありますね。繰り返し同じ作家ばかりになるのは良いとは思わないですが、ご縁のあった作家が5年、10年経った時にまた一緒にやれる機会があると、お互いの成長が共有できて面白いかもしれないですね。

毛利|今回外部の方もどんどんサポートしてくださって、テンポラリーなチームができて、ぎゅっとお祭りのような感じになりましたが、この展示が終わると無くなってしまうのがもったいないです。何かしらの形で持続するようなシステムができると、個性的なプログラムになる。こういう経験もして作品が残れば、これはこの場所でできたということも言えるだろうし、じゃあこういうこともできるプログラムだという話にもつながる気がします。

飯田| 2015年10月以降、いろいろな人にこの場所の話をしましたが、来たことがない人は「Minatomachi POTLUCK BUILDING」とプログラムとしての「MAT, Nagoya」という関係がまだあまり分からないようです。Minatomachi POTLUCK BUILDINGがハードの名前で、中身の部分、つまりソフトを作っているのがMAT, Nagoyaであるという関係性を説明しておくのも大事だと思います。ここは場所として美術だけやっているわけではないし、作家がそこで関わるのはいろいろなチャンネルがある。その整理ももう少しできると良いかなと思いました。

質問者|作品の完成度、インスタレーションについてどうお考えですか。またご自身の作品で、エンターテイメント性とはどういうことなのかを聞かせてもらいたいです。

毛利|完成度の話で言うと、今回展示をした状態ではまだ実験段階だと思います。私はまだこれではやめられないです。あと2、3回、同じような形でもアップデートして見えてくるものもあると思います。そういった意味では、美術館やコマーシャルギャラリーと違って、こういった場所での制作って、伸び代があってさらに突き詰めていける状態を一定期間、観察できますよね。自分の中での新作についての思考は、まだあちこち迷うところもあるので、この研ぎ澄まされていく手前の状態の観察は大切だと思います。
次に完成度の話とつながってきますが、エンターテイメントビジネスとして成立しているものって完成度というか、プロ意識という意味では面白いなと思います。テレビや劇場、いわゆるエンターテイメントについて、私は表現として肯定的に考えていて、完成度という点でとても参考になります。人を楽しませることを突き詰めていく様子はとても興味深いですよね。ドキュメンタリー映像とかつい見てしまいます。その完成度と自分の活動が並んだ時にどういうことが起こるのかなって思ったりすることもあります。

飯田|エンターテイメントは人の感情をどういう風に動かすかということも、ちゃんと計算されて作られていると思いますが、逆に言うと美術作品はそれがないのが面白い。鑑賞者はもしかすると作家の意図していないところで反応したり、ここで絶対笑わせる、泣かせる、というような意図が全く伝わらなかったりすることもある。そういうことがエンターテイメントでは許されない。それを許される余地が美術にはあるように思います。

毛利|美術は役に立たなくても良い。失敗しても良いし、すごく抽象的な状態でも良い。「それ役に立つの?」とか直球な質問を投げられても、「役に立たなくても、良いのです。」という態度でいられますね。

飯田|技術に限らず、美術はさまざまな可能性を試せる余地を生むと思います。ある目的のために作られたものは、それしかできないとなるとつまらなくなったりするので。脱線やOpen Ended、可能性が生まれていく場所にここがなっていくと良いかなと思います。

MAT, Nagoya・児玉|港の印象について伺いたいです。

毛利|ブレやボケの話をしましたが、そういう隙間がこのまちにはたくさんありますね(笑)。どこからでも入っていける印象があって。魅力的なことは、例えばチェーン店が少ないとか、お店も開いているのか、閉まっているのかなど。とある古着屋さんに入ったら、食パンの食べきれが置いてあって、「すごい! このパンはいつから置かれたのだろう。」と発見があったり。そういう意味ではまち自体が本当に素材豊かで、ハプニング満載な印象です。

飯田|私は名古屋に住んでいますが、今回関わるまで港まちを訪れたことはなかったです。まちのディテイルが見えてきて面白かったですが、私は作家ではないので、私だけで歩いていても見つけられなかったと思います。港まちはこれまでも時代の変遷を経てきましたが、またこれから時代が変わっていくターニングポイントに関わったひとりとして、港まちの面白さをどうやったらさらに見つけられるか、皆と見続けている感じです。

児玉|MAT, Nagoyaとしても今回毛利さんや作品を通してたくさんの発見がありました。特にここはアートプログラムだけを行う場所ではなく、まちづくりの拠点だということで生まれる出来事が面白かったです。港まちづくり協議会は美術専門でないスタッフもいて、作品に起こるハプニングを展覧会すら初めて観るスタッフが目の当たりにして、さまざまな反応が生まれる。いろいろな人が集まる場所で現代美術の展示を行って、多様なきっかけができ、まちの中にも入っていけたら良いです。

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プロフィール
毛利悠子
Yuko Mohri

アーティスト
1980年神奈川生まれ。東京在住。
日用品やジャンクと機械部品を再構成した立体物を展示環境に寄り添わせることで、磁力や重力、光、温度など、目に見えない力をセンシングするインスタレーション作品を制作している。2015年春より半年間、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の招聘でニューヨークに滞在。
近年の主な展覧会に「ヨコハマトリエンナーレ2014」(横浜美術館、2014年)、「札幌国際芸術祭 2014」(清華亭/チ・カ・ホ、2014年)、「Unseen Existence」(Hong Kong Arts Centre、香港、2014年)、「トランスメディアーレ 14」(ハウス・デア・クルトゥレン・デア・ヴェルト、ベルリン、2014年)、「おろち」(waitingroom、東京、2013年)、「サーカス」(東京都現代美術館ブルームバーグ・パヴィリオン、2012年)など。国内外で作品を発表している。東京の駅構内の水漏れの対処現場のフィールドワーク「モレモレ東京」を主宰。
mohrizm.net

毛利悠子
《I/O──ある作曲家の部屋》
横浜美術館(2014)
撮影:田中雄一郎
提供:横浜トリエンナーレ組織委員会


飯田志保子
Shioko Iida

キュレーター / 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科准教授
1975年東京生まれ。名古屋/ 東京在住。
1998-2009 年東京オペラシティアートギャラリーキュレーター。2011 年までクイーンズランド州立美術館に客員キュレーターとして在籍後、「あいちトリエンナーレ2013」共同キュレーター、「第15回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」日本公式参加キュレーター、「札幌国際芸術祭 2014」アソシエイト・キュレーターなどを歴任。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。


開催日|2016年3月27日(日)14:00-16:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|毛利悠子、飯田志保子
来場者|32人