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MAT Exhibition vol.1
THE BEGINNINGS (or Open-Ended)
クロージングトーク

飯田|まず私から今回の展示についてお話した後、毛利さんと対話形式で話を進めていきます。
「THE BEGINNINGS=始まり」をタイトルにしたのは、Minatomachi POTLUCK BUILDINGのオープンということもありましたし、Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]というプログラムの始まりでもある。物事の始まりを記念する節目を最初の展覧会で表したいと思ったからです。(or Open-Ended)は、終わらない、開かれていて途中で物事が変化をしている状態を指します。終わりやゴールを目指して始まるのではなく、始まった後に変化をしたり、止まったり、時には後退したりしながら、物事が流動的に動いている「運動」のイメージを表現するタイトルにしました。そして毛利悠子さんとペーター・フィッシュリ/ダヴィッド・ヴァイスという2組の作家の展覧会を構成しました。2組とも「運動」つまり常に動いている、ある種の生態系を美術作品に変換するような特徴を持っているので、MAT, Nagoyaの活動やMinatomachi POTLUCK BUILDINGで展開されるさまざまな物事が、いろいろな出来事と共に開かれていくような作品を展示してもらうのに相応しいだろうと意図したからです。フィッシュリ/ヴァイスのダヴィッド・ヴァイスは2012年に亡くなっていますが、彼らは美術史において伝説と言っても良いくらい有名な作家で、今でも世界中で展覧会をしています。国際的なアートシーンをリードしてきた作家と、若手から中堅の日本の作家が一緒に展示をすることで、国内外の人々や、30年後、100年後の世代の人々も、フィッシュリ/ヴァイスと毛利さんの両方の活動を知る手がかりになっていく。毛利さんの活動だけを紹介するのも大事ですが、フィッシュリ/ヴァイスと一緒に展示をすることで、それぞれの共通項や違いを比較して、歴史にちゃんと残していくことができるかなと。その中でも毛利さんは、新しい物事や知らない関係性の中に入っていき、そこを観察したり、コミュニケーションしたり、些細な物事に対しても好奇心を持つ作家なので、港まちのさまざまなことを毛利さんの目で写し取ってもらえるのではと考えました。
Part1では両作家の自己紹介も兼ねて、それぞれの過去作を展示しました。毛利さんにはPart2ではフィッシュリ/ヴァイスの《事の次第》(1986-87)を組み込んだ新作を作ってくださいというお願いを最初からしていたので、Part1終了後、半年はリサーチ期間として、毛利さんには何度か港まちに来ていただきました。

毛利|私がPart1で展示した過去作は《大船フラワーセンター》(2011-)です。神奈川県に実際にある植物園の名前を作品タイトルにしました。2010年くらいから素材を集め2011年に発表して、さらにアップデートの後、現在の形になっています。

飯田|《大船フラワーセンター》は「生態系」というキーワードで植物園を見立てていますね。さまざまな素材が、電気の信号を受けて動いたり音が鳴ったり光ったり。植物園もいろいろな国の植物が集められてきて、実際にそういう生態系は自然界には存在しないのに、あたかも普通に成り立っているという、ああいう感じです。

毛利|Part1では《大船フラワーセンター》とフィッシュリ/ヴァイスの《事の次第》、展示空間を2つに分けましたが、お互いの物音が混ざり合っているような展示でした。新聞に今回の紹介記事が出て、《事の次第》を「壮大なドミノ倒し」と表現していました。火力だとか、重力だとか、いわゆる目に見えないエネルギーで、まさに壮大なドミノ倒しのようなことが行われていく、そんな作品ですね。Part1後のリサーチは、1回1週間程度で、短い日もありましたが、半年の間にほぼ毎月東京から名古屋に通いました。

飯田|MAT, Nagoyaがリサーチをコーディネートして、港まちのいろいろな場所を見てもらいました。

毛利|私がこのエリアに来たのは2003年以来で、その年に「メディアセレクト」というグループ展に参加し、当時名古屋港にあったartportで展示しました。まだ名古屋港イタリア村に変わる前で、2016年にはもう建物自体が無くなっていて、瞬く間にいろいろなものが変わる場所だという印象を受けました。周辺の海を船でリサーチしましたが、こんなにも人工的な大地が拡がっているのかと、驚きました。埠頭の需要とともに埋め立て地が広がっていったのですね。
また滞在していたレジデンス周辺は、昔の港まちや家がそのまま残っていました。私は展示の設営などで各地に行きますが、今回滞在したレジデンス周辺の風景もとても面白く、宿泊先がビジネスホテルや美術施設のレジデンスとは全く違う環境でした。
リサーチ中に、今から70年前くらいの古いテーブルゲームやパチンコを扱うお店にも行きました。インベーダーゲームがまだモノクロだった時代の機械でしたが、お店のおじさんが動くようにちゃんとメンテナンスしていました。さらにモノクロのテーブルゲーム機にフィルムを貼ってカラーに改造したり、手作りで一斗缶のくじ引きゲームを作っていました。実は、そこは知る人ぞ知るゲーム好きのメッカで、遠くから来るお客さんも多いようです。

飯田|こういう場所に初めて入っていく時に、毛利さんは素性を明かしますか。自分が作家でこういうことに関心があるということは話すのでしょうか。

毛利|言わないですね。話題が深くなってきたり、タイミングがあれば話すこともありますが、基本的に散歩している時は作家でいるというよりもただの人間という感じ。最初の段階では、「リサーチとして訪れる」という心構えではない方が良いです。何がインスピレーションになるか分からないし、全ての要素が作品につながるとは考えにくい。「こういう作品を作りたい。」という明確な目的が浮かび上がってきた時、作家として自己紹介をしてお話を伺うかもしれませんね。

飯田|例えば絵画や彫刻や、何かのプロトタイプを作るためのドローイングとかだと、作品になる前のプロセスもなんとなく想像できますが、毛利さんのような作家の場合「リサーチの時は何をしているのだろう?」という疑問があります。どの時点で「よし、こういうふうに、あそこにこれを置いてここで電気を配線して、こういうインスタレーションにしよう。」というのがどのように湧いてくるのか、鑑賞者からするとブラックボックスになっているところがあります。毛利さんはどこで作家モードに切り替わるのでしょうか。

毛利|そこのボーダーラインはありません。ボーダーラインというより、リサーチをするたびに、モノであれ経験であれ「何」を持って帰れるかということが脳裏にあります。例えば、古い機械のにおいや、低いテーブルのゲーム機で姿勢が低くなった状態に懐かしさを感じたら、その要素や感覚を持って帰るとか。そういった小さい経験やちょっとしたきっかけが私にとって重要だと思っています。というのもインスタレーションは絵画や彫刻と違って、作家の経験を複雑化または抽象化して提示する空間構成です。空間の中に鑑賞者が入ってくることで、さらに追体験したり発見したりしていきます。私はこのプレゼンテーションの元となるような経験をたくさん集めたい、いつもそう思っています。そうした経験はすぐ作品になるのかと言うと、それは分からなくて、何年も先になってからいきなり作品の核になるかもしれない。そういう意味では、先ほどお話した「メディアセレクト」という2003年のグループ展が今回は大きく響いています。
私は当時まだ多摩美術大学の学生で、これが初めての学外での展示でした。愛知県や岐阜県の芸術大学からメディア・アート系の学生達が、学校の枠を超えて一緒に展示していたので、新しいつながりや、関わりができました。そして今回の展示のPart1のオープニングに、当時の友人達が遊びに来てくれて、彼らに新しい作品の相談をしたら、名古屋のプログラマーの方を紹介していただいたのです。そして、その方とスキャナを用いた新作を作りました。10年以上前の体験が今になってぐっと新作につながっていく制作過程でした。

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プロフィール
毛利悠子
Yuko Mohri

アーティスト
1980年神奈川生まれ。東京在住。
日用品やジャンクと機械部品を再構成した立体物を展示環境に寄り添わせることで、磁力や重力、光、温度など、目に見えない力をセンシングするインスタレーション作品を制作している。2015年春より半年間、アジアン・カルチュラル・カウンシル(ACC)の招聘でニューヨークに滞在。
近年の主な展覧会に「ヨコハマトリエンナーレ2014」(横浜美術館、2014年)、「札幌国際芸術祭 2014」(清華亭/チ・カ・ホ、2014年)、「Unseen Existence」(Hong Kong Arts Centre、香港、2014年)、「トランスメディアーレ 14」(ハウス・デア・クルトゥレン・デア・ヴェルト、ベルリン、2014年)、「おろち」(waitingroom、東京、2013年)、「サーカス」(東京都現代美術館ブルームバーグ・パヴィリオン、2012年)など。国内外で作品を発表している。東京の駅構内の水漏れの対処現場のフィールドワーク「モレモレ東京」を主宰。
mohrizm.net

毛利悠子
《I/O──ある作曲家の部屋》
横浜美術館(2014)
撮影:田中雄一郎
提供:横浜トリエンナーレ組織委員会


飯田志保子
Shioko Iida

キュレーター / 東京藝術大学美術学部先端芸術表現科准教授
1975年東京生まれ。名古屋/ 東京在住。
1998-2009 年東京オペラシティアートギャラリーキュレーター。2011 年までクイーンズランド州立美術館に客員キュレーターとして在籍後、「あいちトリエンナーレ2013」共同キュレーター、「第15回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ」日本公式参加キュレーター、「札幌国際芸術祭 2014」アソシエイト・キュレーターなどを歴任。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。


開催日|2016年3月27日(日)14:00-16:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|毛利悠子、飯田志保子
来場者|32人