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ドキュメント

MAT Exhibition vol.3
丹羽良徳
「名前に反対」
名前への挑戦2
対談「ゴミと社会 -公共空間に何が持ち出されるのか—」

古橋|事前に田中さんに丹羽さんの作品を観ていただいて、田中さんから「公共空間に何を持ち出すのか」という議題が出ました。まずはその意図についてお伺いしたいと思います。

田中|田中です。専門は社会学です。フィールドワークの手法で、災害時におけるコミュニティの研究などを行っています。私は美術は詳しくないですが、最初に丹羽さんの活動を観た時に思ったことがあります。丹羽さんの作品は、いわゆる絵画や彫刻ではなく、社会や公共性に関連していることに驚きました。また建築の議論になりますが、マンションの通路など、パブリック・スペースのような共有部分の管理が悪いと、空き瓶やゴミ、自転車など居住者から見たら「邪魔なもの」、自分にとっては「余計なもの」が置かれる。一方で昔からある下町の文化では、ただでさえ狭い路地の両側に植木やプランターなどが置いてあって、ある意味では公共空間を私的に使っている。ただゴミがパブリック・スペースにあるのと、植物が出てくるのとでは全く違いますね。それを建築の人たちは、ゴミは「溢れ出し」、植物は「表出」と、そう区別している。これは一例ですが、そう考えると、「公共空間に何をどのように持ち出すのか」ということは文化や社会によって違いがあります。丹羽さんの作品に戻ると、それをあえて1度ひっくり返して作品に持ち込もうとする意図や公共空間への関わり方、そもそも作品を個人の私空間に閉じ込めようとしない点が、「変な人で、面白そうだな。」と思い、今回お話しましょうということになりました。まずこれまでの作品を観せていただいて、なぜ丹羽さんが公共空間にこだわるのか率直な疑問があります。

丹羽|僕は10年以上公共空間について考えてきたつもりなのに、改めて問われるとすぐ答えが出せないのですが、僕が表現を志した時からこれだったと言うか。実は僕の叔父が1960年代にハプニングと呼ばれる、公共空間でパフォーマンスを行い、ある種アクティビストのような日本美術史でも特異な存在であるゼロ次元の活動に協力していたようです。10代の頃にその話を間接的に聞いて、影響を受けたということがまずあります。もう1つは、おそらく僕が単純に自分に興味がなくて、人との接点の中で新しい発見をしていく、悪い言い方をすれば他力本願で、人に何かをやってもらって作品にすることに興味があります。そういう関わり方として、公共空間に興味があるのかもしれません。

古橋|丹羽さんの作品に共通しているものとして、どちらかというと多くの人が目を向けないもの、公共空間に出てこないものに関心があるのではないかと思いました。その辺はいかがですか。

丹羽|そうですね、関心があります。社会の中で忘れ去られたものや忌み嫌われているもの、できる限り距離を置きたいものに強い関心があって、ゴミもまさにそうですし、歴史的には共産主義などのイデオロギーもそう言えるでしょう。ですがそれらは目の前から全く消えてしまったものではなく、どこかギリギリのところで残っているものに対して、人がどう扱うかというのを僕がフォーカスして、人の考えを見出だすことに関心があり、そういう活動をしていると思います。

田中|「公共空間に何を持ち出すのか」と同時に、「公共空間って何なのだろう」という話もありますね。ここはまちづくりがベースにある場所ですが、まちづくりというのはある意味余計なお世話で、住民が自主的にやれば良いことに対して「まちのことを考えよう。」と言うのもどこか変な話です。そこに共通しているものは何かというと、公共空間のあり方そのものを問うということなのです。現在、公共ということについて、少しずつ日本社会が考え方を変えてきている。丹羽さんが社会に投げかけていることも、そこにつながっていると思います。
先ほどのゴミの問題でも「みんなの」という表現がありましたが、いろいろな意味で解釈できますよね。これまでは高度経済成長で自分だけ幸せであれば良いという個人の幸せから、「みんなの」という言葉に少しずつ意識が変わってきているのではないかと思います。その時改めて「公共」や「公共空間とは一体何か」と。非常に評論家的な言い方ですが、丹羽さんの作品では社会の中で多くの人が振り向かない、放っておくようなマージナルなものに対して、強い関心を示していますね。そこから逆にマージナルでどうでも良いような話をある意味でひっくり返すと、公共の話に気が付かされる、そう思います。

古橋|田中さんの作品に対する意見を聞いて、どう思われましたか。また以前丹羽さんのお話の中で、「どうしてその作品を作るのか言葉にならないまま、とにかく始めて進めている部分と、そのパフォーマンスを通して考えているもう1人の自分がいる」というのが印象的でとても面白い視点だと思いました。その手法についてお聞かせください。

丹羽|田中さんのご意見は、僕の考えていたこと、説明できなかったことが、非常に明快に説明されていて驚きました。作品制作の手法に関して、表現として思考していくことは結論にたどり着くことが目的ではないので、思考していくうえで自分の考えが間違いか間違いじゃないかというのを乗り越えたり修正したりしながら、ゴールが見えないまま進んでいくのは当然だと思っています。とは言っても、何か進む方向を設定する人と、実行する人が僕の中では別でないと、自分の作品は進められないと、この手法で10年間やってきて実感しています。作品は何かを達成したり、証明したりするための道具ではなく、むしろ僕はこれを実行することによって、僕自身新しい発見や気付いていないことを自分の作品から教えてもらえたらと思っています。分からないことを良しとしながら進めていく。最終的に幸いにも僕は文章で結論を導き、言語化する研究者ではないので、新しい問題をどんどん探していくその手がかりとして自分の行為があったり、ドキュメントとして提示されていたり、観る人の考えがより深まるものであれば良いなと思っています。

田中|もしNHKが、このゴミの山をドキュメンタリーにしたら、シナリオがあって最後に答えを導くような編集になってしまうと思います。それはある意味で優等生な作り方で、例えばゴミの山で仕事をする貧困層の家族に焦点を当て、先進国が途上国に不要なものを押し付けているという縮図や、貧困地域で事件率が上がるなどの社会構造を問うような落としどころを用意して、ゴミの山の問題を追いかける。丹羽さんの作品は何が違うかと言うと、試行錯誤をしても答えはない。こうだと押し付けようとも丹羽さん本人がそう思っていない。観ている私たちは、試行錯誤を一緒に追体験していくようであり、共有すると言うか、そこがすごく楽しいし、ある意味では辛いかもしれません。そして最終的な答えが用意されていないので、こちらにも思考が委ねられる。結論があって、ゆったりと安心して観てもらえるようなことではなくて、試行錯誤をどうやって受け止めるか。そこに何か、芸術が持っている力みたいなものが期待できるという感じがします。

丹羽|少し付け加えると、この作品を作った時に、倒壊事故の悪い印象だけが先に伝播して情報として残ってしまうということを非常に警戒していました。これを貧困の素材として使うとか、ゴミ拾いの人がかわいそうだという視点は絶対に入れないで接したいと思っていて。その視点から逃れられない限り、僕らは何もやっていないのと同じではないかと思っていました。もちろん悲しい現実というのはありますが、ある種冷めた視点で「命名権ですよ。」と言うことはもしかするとひどいかもしれないけれど、それを乗り越えたところで公共性やゴミの問題を考えるきっかけになるのではないかと考えています。また作品なので、そこに僕の試行錯誤も絡む。僕が扱っているものは、ある種のイメージができ上がっているものだと思っています。共産主義もそうです。ある程度の人たちが同じように感じるネガティブな要素を持ち合わせているものを、なるべくネガティブな視点を送らずに再解釈するというか。光を当て直すことで、その存在の価値だとかそれができ上がった構造を考え直すことができるのではないか。貧困ということをずっと言い続けると、そこから逃れられないと思っています。

田中|社会学の議論では試行錯誤だけでは終えることができないのですが、丹羽さんの作品では試行錯誤のプロセスを共有することが、同時に何かを考えるプロセスを作り上げている。NHKのドキュメンタリーだと優等生は感動するかもしれないけれど、またかと思う人も大勢いるでしょう。私の気持ちを正直に言うとNHKのメッセージというのは非常に浅薄なものがあり、何か答えを出さなければならないという、プロデューサー自身の脅迫観念で、1つの視点が過剰になってしまうと考えています。社会的な通念からなるべく離れながら、あるメッセージを過剰にしないことで、もっと皆に多様な意味、試行錯誤の重要性を伝えることができるのだと思いました。NHKと対比してばかりですが、NHKのドキュメンタリーと比べることで丹羽さんの作品が少し理解していただけるのではないかと思います。

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プロフィール
丹羽良徳
Yoshinori Niwa

アーティスト、1982年愛知県生まれ。
自身の状況を転置することで眼に見える現実を解体し「公共性」という幻想のシステムの彼岸を露出させる新たな物語を作り出す企てを記録映像として作品とする。主なプロジェクトに、東ベルリンの水たまりを西ベルリンに口で移しかえる《水たまりAを水たまりBに移しかえる》(2004)、震災直後の反原発デモをひとりで逆走する《デモ行進を逆走する》(2011)、社会主義者を胴上げしようと現地の共産党で交渉する《ルーマニアで社会主義者を胴上げする》(2010)やロシアの一般家庭を訪問してレーニンを捜し続ける《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す》(2012)など。移り行く思想哲学とその歴史を横断する活動を展開している。
http://yoshinoriniwa.tumblr.com/xxx

《ゴミの山の命名権を販売する》2014, プロジェクト


田中重好
Shigeyoshi Tanaka

社会学者/名古屋大学大学院環境学研究科教授  
1951年神奈川県生まれ、愛知県在住。地域社会学、災害社会学を専門としている。主な著書に『地域から生まれる公共性 —公共性と共同性の交点』(ミネルヴァ書房、2010年)。共著として『東日本大震災と社会学 大災害を生み出した社会』(ミネルヴァ書房、2013年)、『スマトラ地震による津波災害と復興』(古今書院、2014年)がある。


開催日|2016年1月23日(土)14:00–16:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|丹羽良徳、田中重好
来場者|33人