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MAT Exhibition vol.3
丹羽良徳
「名前に反対」
名前への挑戦2
対談「ゴミと社会 -公共空間に何が持ち出されるのか—」

港まちづくり協議会・古橋|今回は丹羽良徳さんの「名前に反対」展に合わせ、社会学者の田中重好さんをお招きして、美術作家と社会学者、それぞれの立場から公共性についてお話いただきます。田中さんは『地域から生まれる公共性』(ミネルヴァ書房)という非常に興味深い本を執筆されていて、今回の対談テーマ「公共空間に何を持ち出すのか」という問いかけをいただきました。まずは丹羽さんのこれまでの作品を振り返り、対談を進めていきたいと思います。

丹羽|丹羽良徳です。今「名前に反対」展でフィリピンを舞台にした作品《ゴミの山の命名権を販売する》(2014-15)を展示しています。これまでの僕の関心から、なぜこの作品を作ったのかを理解してもらうために、約10年の作家活動の中で主要になる、かつ今回の「公共性に何を持ち出すのか」というテーマに関わる作品を振り返ります。
最初はベルリンで作った《水たまりAを水たまりBに移し替える》。旧・東ベルリンの水たまりを口に含んで、旧・西ベルリンに吐き出すパフォーマンスをビデオで記録しました。まだ大学在学中に作った作品ですが、僕の活動の中でも非常に重要な作品です。高校卒業まで名古屋で暮らしていた僕が初めて海外に行き、自身と世界の接点を持った時の驚きというものが個人的に記憶に残っています。作品の最後に出てくる人がどうやらインド系の移民で、最後に蹴りつけた水たまりの中から1ユーロコインが出てきて、「これをやるからどっか行け。」と言われて終わるという結末です。卒業後しばらく、今のようにビデオを使うことは想定せず、パフォーマンスが1番だと思い込み、若気の至りで、海外でお金を使い果たし、帰国しては仕事がないという繰り返しの最下層時代を過ごしていました。活動を続けていく中で、自分が東欧に関心があることが分かってきました。その頃たまたまルーマニアの革命のビデオを観る機会があり、《ルーマニアで社会主義者を胴上げする》というプロジェクトを2010年に行い、そこから共産主義シリーズというものを始めて、モスクワに行ったり日本共産党とコラボレーションしたりしました。《モスクワのアパートメントでウラジミール・レーニンを探す》では、2012年冬にモスクワに1ヶ月ほどの滞在の間、「レーニンを探しています。国家権力の手の及ばない、プライベート空間に忘れ去られたレーニンを探しています。」と新聞やウェブなどのメディアに載せてもらい、連絡をくれた人を訪問して「レーニン」を探して、最終的に美術館に借りてくるというプロジェクトです。約1ヶ月間「レーニン」を探し続けた過程を映像にしました。
怒る人や喜ぶ人、無視する人などそれぞれ反応が違う中、膨大な時間をかけ撮影し、最終的に「私がレーニンだ。」というそっくりさんも現れ、おかしな結末になりました。この作品を通して「ソビエト」は消滅したけれど、人々の中で「レーニン」が形を変えて存在しているというのがぼんやりと見えてきました。
共産主義シリーズは、共産主義の歴史が現地で今どのような形で残されているのか、美術だけでなく歴史学や民俗学にも興味もあり、約3年間でこのような展開をしました。
次は東日本大震災後に作った作品を紹介します。震災当時東京に住んでいた僕は自宅で震災を経験し、テレビで東北の様子を見ながら、東京の混乱も感じていました。政府や電力会社に対してデモが頻発する中、僕の周りでもデモに参加する人も多く身近なことになり、震災3ヶ月後の6月11日に大きなデモがありました。僕自身は原発は要らないけれど、皆同じ方向を歩き、あらぬ敵に対して訴えて、果たして意味があるのだろうかと。デモにうんざりした思いが漠然とあり、ただ無言でデモを逆走する行為を映像で撮影した作品が《デモ行進を逆走する》です。他にも《首相官邸前から富士山頂上までデモ行進する》という作品も作りました。
今回、「名前に反対」展の中で展示している作品《ゴミの山の命名権を販売する》(2014-15)は、国際交流基金の企画展で、フィリピンのキュレーターから依頼を受け、フィリピンのバルガス美術館で発表しました。リサーチをして新作を作る過程で、「ゴミの山の命名権を販売する」というアイデアを出しました。
フィリピン・メトロマニラ北部のケソン市に「パヤタス」と呼ばれるゴミの山があります。フィリピンは現在ゴミの分別がなくて、可燃ゴミや不燃ゴミ、瓶、缶、医療廃棄物や産業廃棄物なども一緒くたにされ、あらゆるゴミがここに集まってくるという現実があります。それはゴミを焼却処理しないという法律を作ってしまったのが原因で、全てのゴミは埋立地に行くようになっているそうです。このパヤタスも1990年代に国際的に有名になった負の遺産で、ゴミの山が倒壊し民家ごと押しつぶされて多くの人が亡くなるという悲惨な事故がありました。
直接管理している人に交渉し、ゴミの山の現状を少しでも知りたいということで、処理しているのか、ただ置いているだけなのか分かりませんが、ゴミの処理をしているところまで連れて行ってもらって見せてもらいました。臭いが本当にキツすぎて、僕は30分いるのが限界でした。プラスチックを鼻や目の前で燃やしているという状態で、その日中頭痛が治まらない悲惨な状況でした。ここでは許可制でゴミを分別し、金属や有価なものを集めているスタベンジャーと呼ばれる人々が、1日500円にも満たない額で働いている現実がありました。フィリピンのマニラだけで、ゴミの山が全部で17カ所、郊外にあるようです。とにかくゴミ処理のために、まず土を掘り、ゴミを埋め、土を重ねる、またゴミを埋めるという繰り返し。満杯になったらまた別の土地へ移る。汚水による環境汚染もあります。
僕がなぜ命名権を思い付いたかというと、ゴミの山の現実を見て、現地の人とも話しましたが、負のイメージを隠したいということが問題だと思い、命名権という冷めた目線かもしれないけれど、名前を売るという提案をすることで、パヤタスを社会の表舞台に引き出せるのではないかと思いました。また以前から自分が購入したものや、自分が所有したものの所有権が本当は曖昧なのではないかと考えていたので、今回命名権ビジネスをゴミの山とかけ合わせました。
実際に土地を所有している行政や民間企業を訪ね、「命名権を売らないか?」と交渉を続け、最終的にはワックマンというベンチャー企業が面白がってくれ、ゴミの山の一部に命名権をつける権利を得ました。弁護士と契約書を作り、ネットオークションで、約35,000円で現地の人に落札され、フィリピンのタガログ語で「私たち、僕ら」を意味する「AKO」と名付けられました。僕は名前云々には興味がなく、交渉のやり取りから彼らのゴミの山に対する思いや所有についての考えを、どうにか引き出そうと思っていました。また彼ら自身が出したゴミ、不要なものにどうやって決着をつけるのかにも関心がありました。ただ日本を含む先進国が、経済格差を悪用して、破格な値段で産業廃棄物などを処理している状況も感じて、僕にとっても無関係なゴミではない、まさに「AKO」だと思えました。

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プロフィール
丹羽良徳
Yoshinori Niwa

アーティスト、1982年愛知県生まれ。
自身の状況を転置することで眼に見える現実を解体し「公共性」という幻想のシステムの彼岸を露出させる新たな物語を作り出す企てを記録映像として作品とする。主なプロジェクトに、東ベルリンの水たまりを西ベルリンに口で移しかえる《水たまりAを水たまりBに移しかえる》(2004)、震災直後の反原発デモをひとりで逆走する《デモ行進を逆走する》(2011)、社会主義者を胴上げしようと現地の共産党で交渉する《ルーマニアで社会主義者を胴上げする》(2010)やロシアの一般家庭を訪問してレーニンを捜し続ける《モスクワのアパートメントでウラジーミル・レーニンを捜す》(2012)など。移り行く思想哲学とその歴史を横断する活動を展開している。
http://yoshinoriniwa.tumblr.com/xxx

《ゴミの山の命名権を販売する》2014, プロジェクト


田中重好
Shigeyoshi Tanaka

社会学者/名古屋大学大学院環境学研究科教授  
1951年神奈川県生まれ、愛知県在住。地域社会学、災害社会学を専門としている。主な著書に『地域から生まれる公共性 —公共性と共同性の交点』(ミネルヴァ書房、2010年)。共著として『東日本大震災と社会学 大災害を生み出した社会』(ミネルヴァ書房、2013年)、『スマトラ地震による津波災害と復興』(古今書院、2014年)がある。


開催日|2016年1月23日(土)14:00–16:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 1F: Lounge Space
スピーカー|丹羽良徳、田中重好
来場者|33人