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ドキュメント

MAT Exhibition vol.2
「絵画の何か」
トークシリーズ「絵画の夕べ」
第1回「絵画を続けていくこと」

田島|佐藤さんはあるタイミングで平面の方にぎゅっと寄って行きましたが、それはどうしてですか。

佐藤|当時、東京で日常品を使ってコンセプチュアルな作品を作っていて、周りにも似たような仕事をしている素晴らしい作家がいました。ちょうど9.11のテロが起こり、あのテロが日常品を使って価値観を変える極みなのではないか、と真っ先に思ってしまい、自分の仕事をその土俵に乗せるのは嫌だなと思いました。日常品ではなく、価値観は変わらなくても良いから手から作りだすことをやり始めようと。そのタイミングで名古屋に戻って来たので、リセットして地道に立ち返ってみようと思いました。だからピュアな思いだけど素直ではないので、どうやって絵を描けば良いのか、これまで捨ててしまった代償というのを大きく感じました。ここからは「不純」になるのですけれど、絵を構成しているものを分割して、それを取り出して、抽出して、絵っぽいものを組み上げていくという考え方で最初は始めましたね。

田島|「不純」というのが面白いなと思います。

佐藤|だって後ろめたくないですか…。

田島|純粋に向かえないと言うか。当たり前のように絵を大前提にできない。それは世代とか関係なくて、多分日本人であることも当然あると思うし、共通している部分として面白いなと思います。

佐藤|でも世代じゃないかな。絵を大前提にして、描いている人たちも多くいますし。

笠木|「不純」という言い方になっていましたが、おそらく3人とも、2次元へのアプローチが違いますよね。絵画というメディアは使っているけれども、絵の中で世界が開く、窓としての絵ではないですよね。

山田|僕の場合は、アイロニーとユーモアが作品のキーポイントだと思っていて。先行世代で、もの派以降の画家たちのストロークだけで見せるような抽象絵画や、無から描くというものに対して信頼できない部分があって、そこを皮肉るわけではないですが、かぼちゃの作品のように、写真を絵にするような作品を作りました。素直に絵を描けないので、ブレイクスルーではないですが、アイロニーとユーモアで切り抜けたという部分はあります。

佐藤|なるほど。田島さんのブレイクスルーはどうですか。

田島|作品の多くはインスタレーションで、そのつながりの中で、そこに平面作品が欲しくて描いたのがタイルでした。ブレイクスルーではないですけど、過渡期といえばこのあたりですかね。

佐藤|タイルはどこから引っ張ってきたんですか。

田島|トニー・クラッグです。僕も佐藤さんと同じで日常品を扱うことを考えていました。美術の作品とそれらをこねくり回して何かならないかなという時に、トニー・クラッグの作品を引用して、台所のママレモンをショーケースに入れて、グリッド絵画のように見せて、なんてことないトイレの床のようなものを描き、壁にかけた。インスタレーションから、ズルズルと絵に流れたという感じです。

山田|1990年代後半から、時期のキーワードとして「日常」や「非日常」がありましたね。

佐藤|そうですね。続けていくことに話を戻すと、2人は、作品の制作を実務的にはどのようにやりくりをしていますか。私は今年から仕事が変わり、制作時間がとれるようになりました。以前は週4日で通信制高校の非常勤講師をしていました。仕事がある時の制作と展覧会前の制作で時間配分が変動します。自宅のガレージをスタジオにして制作しています。展覧会直前は、細切れに睡眠をとりながら制作している感じです。

田島|僕は予備校や高校で非常勤講師をしています。本当は作品だけで生活したいところですが、現実は時間で言えば半々ですね。曜日ごとに仕事を詰めて、その分空きの1日を作って、まとめて制作の日を作ります。スタジオは自宅にあります。制作は週の半分3日か3日半くらいですね。展覧会前になると、運動と本を読む時間が削られます。

山田|僕は常勤で美術高校の教員をしているので、規則正しい生活です。教員も作家活動をしているので、学校で制作できる環境が整っています。勤務時間は午前8時から午後5時まで。生徒たちが帰ってから本格的に制作に入り、12時近くになったら家に帰る生活です。土日も学校に来て制作しています。自宅はもともと木材屋の物件なので、立体や樹脂の作業は自宅スタジオで行っています。

佐藤|笠木さんには美術館でどのように展覧会を組み上げるのかを、伺いたいです。

笠木|展覧会の案は、だいたい2、3年くらい前から実現に向けて動き出します。名古屋市美術館だと展覧会の規模にもよりますが、基本的に単館で開催する予算がないので、同規模の美術館で組み手を探します。同時に名古屋市は単館の場合でも、マスコミと一緒に実行委員会形式で開催するので、マスコミを探します。地域柄、中日新聞社と組むことが多いです。
開催の目処がつけば、現代美術の展覧会であれば、理想的には1年半前に作家に依頼して、1年前にプランを固めていきます。内容が確定したら約5ヶ月前にデザイナーとポスターやチラシの広報用媒体を作り、3ヶ月前には配布するのが理想です。実際はいろいろな事情で、それが延びてしまうこともありますね。特に現代美術の新作となると、いろいろとギリギリで物事が進むこともありますね。

佐藤|展覧会がどのように作られていくかをこの機会に聞けて良かったです。話を絵画に戻しますが、2人は自身の作品について見せ方やセルフプロデュースの手法はありますか。自分をこういう作家だと示す紋きり型な部分があるのか、それ以外でも何かこだわりがあれば教えてください。

田島|「タイルの絵を描く人だ」と思われてしまうのは仕方ないですが、余白があれば、立体やインスタレーション作品を出すこともあります。でもそれが良いのか悪いのかは、よく分からないです。

佐藤|型にはめられることに対して、あがくわけですね。

田島|あがく必要はないと思いつつ、絵に対して引っかかっているところがあるので、他の手法の作品を出してしまうということもあるかもしれません。

山田|僕も同様です。美術館での展示の時は、サービス精神が出てしまって、与えられた場所を学芸員の方と相談をしながら意見を聞いたうえで、可能なことを攻めていこうという感じです。

佐藤|個展の時の組み立ては、どのようにしていますか。

山田|展覧会のコンセプトを考えて、どのように作品を作るのか、からスタートします。

田島|僕はその時々で考えていることを発表するので、そのために新たに考えることはないです。でも、いつもタイトルに困りますね。同じテーマで作り続けているので、少しずつモデルチェンジするけど、そのタイミングで展覧会があるわけではないので。

佐藤|いつも同じテーマとは、どういうことですか。

田島|なんだろうな…。抵抗はあるけれど「タイルの絵を描く人」に回収されてしまった方が本当は正解なのでは、とも思います。例えばダニエル・ビュランは「シマシマの人」と言われていますよね。ある学芸員さんとの会話で印象に残っている言葉ですが、「日本の作家は、いろいろなことをやりすぎる。若手も、巨匠も個展に余計なものが混ざっている。」と言われたことがあります。すぐに飽きて、違う作品を作らなければいけないという強迫観念が非常に強いと。ダニエル・ビュランは、一生をかけてシマシマを描く。それはそれで格好良くて、そういう方法論もあると思いました。作家のやりたいという気持ちは、観る側や、評論する側から見れば、本当はいらないものかもしれない。その人を理解したり、その作品のことを考えたり、分かってもらうために、どうするべきかを今も迷っているところです。
大枠のテーマとしては、工芸とアート、東洋と日本について、考えています。先ほどから、絵画とか絵とか言っていますが、その「絵とは何だろう」という問いもあります。制度で言えば、西洋のタブローのルールのうえに乗って、平面らしきものを描くということが前提にあり、タイルやステンドグラスなど装飾的な模様を引用しながら、アートと工芸の間について模索して仕事ができないかと思っています。

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プロフィール
田島秀彦
Hidehiko Tajima

アーティスト
1973年岐阜県生まれ、同地在住。古今東西のタイル柄やステンドグラスなど日常に遍在する装飾模様などをモチーフとし、絵画やインスタレーション作品を制作している。主な展覧会に「愛知ノート」(愛知県陶磁美術館、2015年)、「窓から窓へ、風景から風景へ」(ケンジタキギャラリー東京、2013年)「ポジション2012 名古屋発現代美術~この場所から見る世界」(名古屋市美術館、愛知、2012年)などがある。

《Arabesque(14-02)》2014


山田純嗣
Junji Yamada

アーティスト
1974年長野県生まれ。愛知県在住。
自作の模型を写真に撮影し、そのプリントの上に銅版画を重ね刷る、「インタリオ・オン・フォト」と自ら呼ぶ手法で、3次元と2次元の認識を往還する作品をつくり、「絵画とは何か」という問いに向き合っている。
主な展覧会に「山田純嗣展 絵画をめぐって 理想郷と三遠法」(一宮市三岸節子美術館、愛知、2014年)、「アイチのチカラ!」(愛知県美術館、愛知、2013年)などがある。
junji-yamada.com

《GARDEN OF EARTHLY DELIGHTS》2010-12


笠木日南子
Hinako Kasagi

名古屋市美術館学芸員
富山県生まれ、京都府在住。「あいちトリエンナーレ2010」共同キュレーター。主な企画に「放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子たち」(愛知県美術館・名古屋市美術館、2009年)「ポジション2012 名古屋発現代美術~この場所から見る世界」(名古屋市美術館、愛知、2012年)、「親子で楽しむアートの世界 遠回りの旅」(名古屋市美術館、愛知、2014年)などがある。


佐藤克久
Katsuhisa Sato

美術家
1973年広島県生まれ。
愛知県在住。活動当初は概念的な立体や写真作品を発表していたが、近年は絵画形式を中心に制作している。
主な展覧会に「反重力」(豊田市美術館、愛知、2013年)、「リアル・ジャパネスク」(国立国際美術館、大阪、2012年)などがある。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。
satokatsuhisa.jimdo.com

《ものだね》2015


開催日|2015年11月21日(土)18:00–20:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 2F: Project Space
スピーカー|田島秀彦、山田純嗣、笠木日南子
聞き手|佐藤克久
来場者|50人