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ドキュメント

MAT Exhibition vol.2
「絵画の何か」
トークシリーズ「絵画の夕べ」
第1回「絵画を続けていくこと」

佐藤|今回は、「絵画を続けていくこと」をテーマに、1970年代生まれで、見てきたものや吸収してきたものが似ている同世代の作家、田島秀彦さん、山田純嗣さんと名古屋市美術館学芸員の笠木日南子さんの3名をお招きしてお話を伺います。私たちの世代は、ネガティブな問題を抱えているように思います。学生時代にストレートに絵を描かないような世代だったのかなと思いますが、いかがでしょうか。

田島|学生時代は1990年代前半で、インスタレーションが流行っていた頃でした。少し乱暴に言うと、絵画が古いようなイメージすらありました。

山田|大学生になったのが1993年で、その時の名古屋は現代美術が盛んでしたね。大学生の頃に衝撃を受けた展覧会は、「アンゼルム・キーファー展 メランコリア —知の翼」セゾン美術館(東京)です。絵画でも、ミクストメディアと表記された作品が数多くありました。

笠木|名古屋市美術館は1988年に開館し、1980年代後半から1990年代前半の現代美術の収蔵品が充実している美術館です。開館当初は、「現代美術のメッカ名古屋」の地で現代美術を紹介する美術館と銘打っていました。コレクションされているキーファーの作品も、素材をミクストメディアと表記しています。その当時名古屋には、ICA, Nagoyaや、ギャラリーたかぎなどが、海外の美術館にも巡回する規模の展覧会を開催していました。アキラ イケダ ギャラリー、コオジオグラギャラリーといった、現代美術の主要なギャラリーが名古屋に集まっていました。

田島|桜画廊の閉廊後に、ケンジタキギャラリーができましたね。

笠木|アキラ イケダ ギャラリーのようにフランク・ステラや河原温など、海外で活躍する作家を日本の美術館に紹介するギャラリーがいくつかありましたね。現代美術を観ようと村上隆も名古屋に通っていたというエピソードがあるくらいです。

田島|今の学生の方は、多分勉強しに東京へ通うと思うのですが、僕らは先生たちに駆り出された展覧会の設営のバイトでフランク・ステラを設置したり、トラックから降ろしたりを実際に体験して、身近に作品を観ることができました。

佐藤|学生時代の体験が、少しよじれた思想になってしまったのではないかと思っています。これからを考える時に、「絵画をやっていない人たちが、絵画を続けていくこと」について今日は解き明かしたいです。素直じゃない問いですが、作っている本人たちも皆素直じゃないと感じています。

笠木|世代論で切ってしまうのは短絡的かもしれないですが、ちょうど私たちが生まれた世代は、団塊ジュニア世代という呼び方をされていました。小・中学校の頃は、日本はとても経済的に豊かで安定していたけれど、大学に入るとバブルが崩壊して、良い大学を出て企業就職すれば終身雇用で安定だった社会が完全に覆されてしまった。でも、育ってきた環境から妙にバブリーだと言われたりします。そんな中で続けていくというのもありますよね。

佐藤|まずは2人に、作品を作り続けるモチベーションについてお尋ねしたいです。

山田|基本的には作品を作るのは辛いので、本当はやりたくないという気持ちが強いです。でも作らないと「自分は何者だ?」と考えた時に、ただの何もない人になってしまうので、それで唯一やれることとして作品を作るという素朴な考えです。

笠木|山田さんは先生のお仕事もありますよね。だから何もないはずはない。日々の仕事とか生活に埋没していくことも可能ですが、そうではなく制作を続けていくというモチベーションはどうですか。

山田|大学卒業後の 2003年に1年間特別支援学級の担任をしていました。大学での制作の環境も失って、どこか制作場所を見つけようと思いましたが、その時は彼女もいて、生活が楽しくて、4月から10ヶ月くらい制作をしませんでした。でもその時に「これで良い。」と思えなかった。

田島|僕も全く一緒です。続ける、続けないと考えたことがないです。僕は大学卒業後に雑誌の記者をしていたので、
お店や温泉に取材に行って、写真を撮ったり、記事を書いたりしていました。給料は今より良かったし、仕事も一般的に見れば辛くなかったのですが、制作時間が持てなくて、「やっぱりダメだな。」と思いました。

佐藤|続けていく覚悟というよりは、「自然と」というのがキーポイントでしょうか。卒業してからのビジョンが、就職や仕事というより、それまで観てきた現代美術にそのまま向かうものだったのでしょうか。

山田|働いていた期間はそんなに長くなかったので、制作に戻っても手が覚えている感覚がありました。

田島|この世代は、いわゆる「モラトリアム」だと思います。大人になりたくない、社会とできるだけ関わりたくない、良い意味で自然に続けてきたのではなく、単純に社会と距離を置いていると言うか、決して綺麗事だけではないと。

山田|実際は大学在学中に作品を作りだめして、卒業後に発表をしていて。発表した後にもう作品がなくなったので、何か作る必要があった。発表と制作のサイクルがあったお陰で、間が空いても制作しようと戻れたというのはあります。今は発表した後に、次のことを考えるのがサイクルになっています。

佐藤|続けるにあたって発表の機会は重要でしたか。

山田|僕の場合は、版画研究室出身なので、発表の機会も多かったです。大学時代から研究室でグループ展があったり、シートでやり取りするので海外にも送ることができて、コンクールにも参加しました。発表することがモチベーションになっていて、継続することが自然になっています。

佐藤|嫌な質問ですが、それは自分の作品によって発表の場が招かれたのか、先に発表の場があったのか、どちらですか。

山田|自発的な発表ではないですが、発表するステージは探していました。

笠木|一般的に考えると社会で生きていくうえで、2人が選択したことは、思い切った決断であったと思います。記者や教職といった安定した仕事を捨てることに対してあまり躊躇していないから、自然に従ったということですよね。佐藤さんはどうですか。

佐藤|私も美術が好きでそれしか取り柄がなかったので、それにしがみつくしかなかった、という感じです。美術を中心に考えても、なんとかまだ生きていける世代でもあると思います。上の世代は発表の機会がなくても、ずっと続けていますからね。

田島|記者をしていた時には、発表の機会は全くありませんでした。ピュアな動機ですが、本当に自分が見たいから作っていました。僕からすれば、佐藤さんは発表を続けているイメージがありますけどね。

佐藤|東京にいた頃はありましたが、名古屋に戻ってからは大人しくしていた時期がありましたよ。

田島|今回「絵画」なので無理やり話を戻しますけど、インスタレーションは解体してしまうので、やはりモノとして残したいと思うと、必然的に壁に何かをかけるフォーマットは便利ですよね。その延長線上で平面作品を作れないかなと思いました。

佐藤|絵画をやっている人にはものすごく腹の立つ言い方だと思います(笑)。

田島|単純に「絵画とは何か」というところから全然入っていなくて。そこは全然ピュアじゃないです。

山田|僕は学部時代は立体を作っていて、大学院に進んでから半年くらいは何もできなくなりました。その時に、絵を描こうと思った。絵を描いている人にとっては、腹立つ言い方かもしれませんが。

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プロフィール
田島秀彦
Hidehiko Tajima

アーティスト
1973年岐阜県生まれ、同地在住。古今東西のタイル柄やステンドグラスなど日常に遍在する装飾模様などをモチーフとし、絵画やインスタレーション作品を制作している。主な展覧会に「愛知ノート」(愛知県陶磁美術館、2015年)、「窓から窓へ、風景から風景へ」(ケンジタキギャラリー東京、2013年)「ポジション2012 名古屋発現代美術~この場所から見る世界」(名古屋市美術館、愛知、2012年)などがある。

《Arabesque(14-02)》2014


山田純嗣
Junji Yamada

アーティスト
1974年長野県生まれ。愛知県在住。
自作の模型を写真に撮影し、そのプリントの上に銅版画を重ね刷る、「インタリオ・オン・フォト」と自ら呼ぶ手法で、3次元と2次元の認識を往還する作品をつくり、「絵画とは何か」という問いに向き合っている。
主な展覧会に「山田純嗣展 絵画をめぐって 理想郷と三遠法」(一宮市三岸節子美術館、愛知、2014年)、「アイチのチカラ!」(愛知県美術館、愛知、2013年)などがある。
junji-yamada.com

《GARDEN OF EARTHLY DELIGHTS》2010-12


笠木日南子
Hinako Kasagi

名古屋市美術館学芸員
富山県生まれ、京都府在住。「あいちトリエンナーレ2010」共同キュレーター。主な企画に「放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子たち」(愛知県美術館・名古屋市美術館、2009年)「ポジション2012 名古屋発現代美術~この場所から見る世界」(名古屋市美術館、愛知、2012年)、「親子で楽しむアートの世界 遠回りの旅」(名古屋市美術館、愛知、2014年)などがある。


佐藤克久
Katsuhisa Sato

美術家
1973年広島県生まれ。
愛知県在住。活動当初は概念的な立体や写真作品を発表していたが、近年は絵画形式を中心に制作している。
主な展覧会に「反重力」(豊田市美術館、愛知、2013年)、「リアル・ジャパネスク」(国立国際美術館、大阪、2012年)などがある。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。
satokatsuhisa.jimdo.com

《ものだね》2015


開催日|2015年11月21日(土)18:00–20:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 2F: Project Space
スピーカー|田島秀彦、山田純嗣、笠木日南子
聞き手|佐藤克久
来場者|50人