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ドキュメント

MAT Exhibition vol.2
「絵画の何か」
トークシリーズ「絵画の夕べ」
第1回「絵画を続けていくこと」

佐藤|山田さんはテーマがあるのですか。

山田|「絵画をめぐって」という作品シリーズを続けています。最近は「名画を模写して何かやる人」と言われるようになって。僕の場合は、相反するようなことが一つの画面の中にある。立体と平面だとか、描いてあるもの写っているもの、虚構と現実が融合するのではなく、そのまま並存しているような状態をきっかけに制作しています。名画シリーズでは、近代以前の作品を扱うことが多いですが、この時代は物語、神様、歴史などの人々の感情の動きがモチーフとして描かれています。印象派以降というのは目に映るものを描くようになっていて、絵の中にストーリーを描くことがタブーになっていく。制約があるというところに疑問がある。そのもの自体が絵画ではなくて、人の中に生まれるものが絵画と仮定して作品を作る。だから名画というのを借りてきてはいるのだけれど、それを通して見るもの、その時にしかできないものとして扱っています。独特の言い方ですが、「世界とつながっている瞬間を感じる」というか、そのものに触れてみているというような状況を作りたいと思っています。

笠木|絵の存在意義を解体して、しかもまたそれを組み上げていく時に、人が見た時にどのように反応するかも含めて、手作業も大事にされていますよね。

山田|制作のプロセスと作品を観るプロセスが一致するというか、解きほぐしていくような見方になるような感覚があります。描いている時、観ている時にこそ絵があるし、世界に触れられるというような感覚なので、手の込んだことになっているという感じです。

佐藤|名画を借りずにはできないですか。

山田|できるとは思いますけど、名画があることで、きっかけとなる部分があるかなと。先人の知恵を借りるような、自分なりの解釈で選ぶようなところがあります。これまでの美術史、絵画史を振り返るとすれば、洞窟壁画の時点でそれは作品だ、絵画だという前に、手跡だけで全面を埋め尽くすようなことが成り立っていますよね。だから絵画は、モダニズムだけの特権じゃないと思っています。

佐藤|モダニズム的な考え方には同調はするけれど、そこからは離れたいという思いがあるってことですか。

山田|それはもちろん理解したうえで、そこで僕はこう思うという感じですかね。「王様は裸だ。」じゃないですが、ミニマルな絵画に「ただの板じゃん、これ。」と言ってしまうような。板だということを認知したうえで、じゃあその板をどうするのか、そこを知らずに信じることができないというスタンスです。だからこじれている世代ですよね。

佐藤|そうですね。その「こじれ」は、全てに共通することだと思います。

笠木|その「こじれ」についても共通点かもしれませんが、3人が絵画を描くのは、単なる絵画回帰ではないと思います。インスタレーションも体験して、絵の成り立ちを汲み取り、支持体と絵の具という意味の絵画の構成要素だけではなく、見る人が関わっていたり、人の記憶が関わっていたり作品が多層的な側面があるので頑丈だと思います。手仕事的に技術もしっかりあって、モチーフの選び方、コンセプトのうえでも私たちの立場から見れば、いろいろな解釈ができる、鑑賞の幅があるため作品に強度があります。

佐藤|それはありがたい言葉ですね。

笠木|だから可能性はまだまだ開ける世代です。佐藤さんの話を聞いても良いですか。

佐藤|コンセプトは明らかに矛盾していることをやろうとしています。何も言わないことを言うためにということを考えています。若い頃に渡辺英司さんの影響や、ジョン・ケージの本を読んでいて、よくある青春時代の男子がかかる病気みたいなものにかかっていていました。それから抜けないようにそのまま矛盾をはらんでやっていけないかと思っています。本の影響で、モダニズム的な考え方が凝り固まってしまったところはあります。
2人に聞きたいのは、自分の作品に備わっているか分からないけれども、それぞれの「感動」についてどう考えていますか。例えば私は、MIHO MUSEUMで開催されていた「バーネット・ニューマン十字架の道行」展を観て、とても感動しました。自分の作品ではまだ感動に至らないなと思って。おそらく感動する造形要素というのがあって、構成や筆跡などのバランスや、絵の中に隠されていて、見る人が見たら絵の構成や筆跡など造形要素が起動して、感動が起きると思っていて。その秘密が分かれば感動する絵画が描けるのではないかと思っています。でもまだそれは見つからないです。

山田|僕は「感動」は、「美しい」とは違うと思っていて。美しいということを基準にしてしまうと、ある美しさがその基準になるので、そこに囚われてしまって、評価がいろいろと分かれてしまう。それが感動という言葉と一致するのかどうかは分からないけれど、面白さというところを大事すれば、それに縛られずにやれるかなと思います。

笠木|一般的に鑑賞者が作品に感動する瞬間は、何か共鳴するものを感じるからだと思います。具象的な絵画が皆に分かりやすいのは、描いてあることをなぞることができるからですよね。描写されていることが理解できると、なるほどと納得できる、それが感動に結びつくきっかけになるのかなと。現代美術は、説明がないと分からないものが多いですが、作家の思考や行為に共鳴できた時に感動するのかなと思います。

山田|感動した話で言うと、ミヒャエル・ボレマンスの作品を観た瞬間に、ロココの時代に日常的な場面の中で何かに没入する人を描いたジャン・シメオン・シャルダンの絵画との共通点に気付いた時です。そのままの無防備な人を描き、描かれていることが意識されていない点が絵画の歴史の中で重要視されていたということと、ボレマンスの現代の絵画が、つながった瞬間に「わぁ、すごい。」と突然見え方が変わって。目の前の作品だけでなく、背後にある絵画の歴史とか、その作品を通して接続された瞬間は、僕にとって絵画が世界につながる方法だと思っています。

佐藤|今日の来場者は、ほとんど私たちよりも若い世代の人が多いと思うので、若い人たちに向けてやっておいた方が良いと思うこと、吸収すべきものがあったら教えてください。

田島|基本的なことを言いますが、美術以外かなと。美術とか絵をやりたくてそれを探究したいのならばそれ以外のことを深く吸収して勉強した方が良いと思います。世代に関わらず言えることです。

佐藤|田島さんにとってそれ以外は何ですか。

田島|映画をいっぱい観て、本もそこそこ読みました。そもそも作り続けるとか考えたことがないというのは、あまり生活と切り離してないというか。極端な話をすると、「美術が命。」だとか、「美術があれば死んでも良い。」とか言っている人ほど、実は生活と美術が乖離しているのではないかと思います。

山田|僕は趣味がないと言うか。学生時代は暇を持て余して、釣りやスノーボードなど、ただ体を動かすこともして、映画もたくさん観ました。絵については、古典的なものや、日本画でも良いし、画壇のものであっても良いけれど、区別せずに見るという経験がすごく大事だと思います。

佐藤|ありがとうございます。では会場から質問があれば。

質問者|絵画は、この世に存在する意味はあるのでしょうか。

佐藤|すごい質問ですねえ。

山田|この世に存在する意味…。

田島|おそらくあるのでしょうね。だって3万年、4万年前、それこそ原始人が描くのですから、おそらく必要だと思います。獲物が欲しいから描く、私たちも獲物以外の何かが欲しくて描いているのだと思います。必要だと僕は思います。

笠木|美術の歴史ではないですが、これまでどの時代にあっても誰かが何かを表現をしているのはなぜなのでしょうね。

山田|意味という点で言うと、意味はないと思います。意味がないから僕らは共鳴すると思っていて。なぜ共鳴するかと言うと、僕ら自身が意味を持って生まれていないので、そういう点で意味のないものに惹かれる。その点で絵画は意味がないから意味があると思います。

佐藤|良い答えを聞けましたね。私たちは意味を持って生まれていないですよね。そうだと思います。では最後に作品を続けていくことについて、これからの展開を聞かせてください。

田島|これからも自分のテーマはぶれることがないので、そのフレームにどのようにアプローチできるかを探していくことですね。

山田|どうしてもホワイトキューブに守られて制作をしているので、そうではない環境で考えると作品も変わってくるのかもしれないし、自分の考えも改まってくるような気がします。そこを考えてみても良いのかなと今日話を聞いていて思いました。昔から割とシステム自体も疑っているので、そこに目を向けながらやっていこうかなという感じです。

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プロフィール
田島秀彦
Hidehiko Tajima

アーティスト
1973年岐阜県生まれ、同地在住。古今東西のタイル柄やステンドグラスなど日常に遍在する装飾模様などをモチーフとし、絵画やインスタレーション作品を制作している。主な展覧会に「愛知ノート」(愛知県陶磁美術館、2015年)、「窓から窓へ、風景から風景へ」(ケンジタキギャラリー東京、2013年)「ポジション2012 名古屋発現代美術~この場所から見る世界」(名古屋市美術館、愛知、2012年)などがある。

《Arabesque(14-02)》2014


山田純嗣
Junji Yamada

アーティスト
1974年長野県生まれ。愛知県在住。
自作の模型を写真に撮影し、そのプリントの上に銅版画を重ね刷る、「インタリオ・オン・フォト」と自ら呼ぶ手法で、3次元と2次元の認識を往還する作品をつくり、「絵画とは何か」という問いに向き合っている。
主な展覧会に「山田純嗣展 絵画をめぐって 理想郷と三遠法」(一宮市三岸節子美術館、愛知、2014年)、「アイチのチカラ!」(愛知県美術館、愛知、2013年)などがある。
junji-yamada.com

《GARDEN OF EARTHLY DELIGHTS》2010-12


笠木日南子
Hinako Kasagi

名古屋市美術館学芸員
富山県生まれ、京都府在住。「あいちトリエンナーレ2010」共同キュレーター。主な企画に「放課後のはらっぱ 櫃田伸也とその教え子たち」(愛知県美術館・名古屋市美術館、2009年)「ポジション2012 名古屋発現代美術~この場所から見る世界」(名古屋市美術館、愛知、2012年)、「親子で楽しむアートの世界 遠回りの旅」(名古屋市美術館、愛知、2014年)などがある。


佐藤克久
Katsuhisa Sato

美術家
1973年広島県生まれ。
愛知県在住。活動当初は概念的な立体や写真作品を発表していたが、近年は絵画形式を中心に制作している。
主な展覧会に「反重力」(豊田市美術館、愛知、2013年)、「リアル・ジャパネスク」(国立国際美術館、大阪、2012年)などがある。MAT, Nagoyaのコミッティーメンバーも務める。
satokatsuhisa.jimdo.com

《ものだね》2015


開催日|2015年11月21日(土)18:00–20:00
会 場|Minatomachi POTLUCK BUILDING 2F: Project Space
スピーカー|田島秀彦、山田純嗣、笠木日南子
聞き手|佐藤克久
来場者|50人